小田 祐司

設計部

工芸科学研究科造形科学域建築学専攻

大工志望で進学した工業高校で、設計への興味が芽生え方向転換

子どもの頃の夢は何でしたか?

父と祖父は大工、祖母方がガラス屋をしていて、小さい頃から将来は地元の工業高校に行って大工になりたいと思っていましたが、通ったのが設計寄りの学校だったことから、設計への関心が高まっていって。工業高校生向けの設計コンペに参加したのを機に設計者を目指そうと、大学進学を決めました。高校で設計の基礎はひと通り学んでいたことに加え、今後は建築においても環境の重要さが増すと思い、大学では環境系を専攻しました。大学時代は設計競技会に参加したほか、各地の建築を見ようと、車で日本一周もしました。

自分の世界を広げるために、海外でもいろいろな建築を見て回ろうと、大学卒業後はバックパッカーをするつもりでしたが、たまたま競技会で知り合った大学の先生に声をかけていただいて研究室に。そこで海外のプロジェクトに関わることができるといわれて大学院に進んだのち、東京の設計事務所に就職しました。

転職先はどのように検討しましたか?

就職活動を始める前にも各地で建物を見て回り、自分が興味を持った建物を手がけていた設計事務所を受け、念願が叶ってその会社に就職しましたが、もともと30歳を目処に、地元の東海地方に戻りたいと考えていたので、転職を検討しました。

転職先については、実際に働いている人の話を聞こうと、友人知人にヒアリングをして。当社に勤めていた先輩から、公共も民間も、いろいろなプロジェクトがあるし、いい会社だよという話を聞いたのが入社のきっかけです。

居心地のよさを感じる建物を設計する

最近の仕事について教えてください

自動車のショウルームや、教育と保育を一体で行うこども園の設計を担当しています。ショウルームを設計した瀬戸は焼き物の町なので、その特色を活かし、内外装にレンガやタイルなど地元の素材を利用した、温かみのある空間を提案しました。

共働き時代に対応して増えているこども園は、子どもたちにとって日中の家となる場所です。居心地のよい、落ち着いた環境が大切だろうと、周囲の自然を身近に感じられるように、高さを抑えた平屋の建物にしています。妹が保育士をしているので、その視点から忌憚のない意見をもらって、現場の目線を取り入れました。児童施設は初めて担当しましたが、もうすぐ子どもが生まれる時期だったこともあって、設計には自然と力が入りました(笑)。

こども園のある土岐市は自然が豊かな場所です。地元の人たちにとって、自然があることは特別なことではないので、その感覚を壊さないよう、違和感なく周囲の自然を取り入れることを意識しました。

固定概念にとらわれず柔軟でいることを心がける

設計の仕事をする上で、大切だと思うことは?

建築にはたくさんの人が関わります。A、B、C、Dという意見があれば、その4つを踏まえた上で、4者が納得できるE案を提案する。それが設計者の大切な役割だと考えているので、あまり固定概念や自分の考えにとらわれないよう、柔軟でいることを心がけています。

家族や友人、知人など、身近な人たちが利用できる建物を設計するのが夢だったので、不特定多数の人が利用する公共建築の仕事を通じて、人が心地よくいられる、土地柄が滲む建物を設計できればと思っています。

職場の雰囲気を聞かせてください

名古屋事務所は小規模なので、コミュニケーションが取りやすいですね。まだ経験の少ない僕にも仕事を任せてもらえつつ、周りにいる知識や経験のある先輩に相談もしやすい環境があるので、柔軟に仕事ができます。

入社希望者へのメッセージを

建築主の要望を叶えるため、建築主自身が気づいていない建物に対する気持ちを上手にフォローし、本当に長く愛されるのはどんな建物か、先を見据えて設計に取り組んでいる会社です。大阪、東京、名古屋と、各地でそれぞれの地に根ざして仕事をしているので、流行に流されない確かな建物をつくりたい人には合っていると思います。

2017.8

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