建築から学ぶこと

2014/08/20

No. 437

高倉から富小路へ、夏の宵

台風が通り抜けた8月半ばの京都は、今年に限ってはやや過ごしやすい。御所の濃い緑を背にしてのんびりと高倉通りへと歩き出し、寄り道しながら御池通りを渡ると、程なく南北に長い京都文化博物館が見えてくる。三条通りに面している南端の別館が旧・日銀京都支店(1906)で、京都の近代建築が立ち並ぶこの通りに格調高い貌を見せている。辰野金吾(1854-1919)が弟子である長野宇平治(1867-1937)と手がけた、ゼブラ状の外壁が印象的な「辰野バロック」である。長野はこの後日銀の各支店や台湾総督府(1919)の設計に携わったほか、日本建築士会の初代会長となった(1917)。当時、建築士法制定を目指したこの団体は、現在の日本建築家協会に近い方向性を持つものだった。なお、同じく辰野の弟子の片岡安(1876-1946)も関西建築界の大物となり、専門家の社会的位置づけに尽力し、関西建築協会(現・日本建築協会)を創設した(同じ1917年)。ここには社会的責任を意識した流れが感じられる(*)。

長野がかかわった日銀岡山支店(1922、現・ルネスホール)や京都支店の大空間は様々なイヴェントに活用される施設に変わった。この旧・京都支店では、私が京都工芸繊維大学大学院で教えていたおりに修了設計展などが催されていた。市民が立ち寄りやすい場所として最良であった。ちなみに、ここの学生も教員も京都のマニアックな地点、一見端切れに見える場所を敷地として選ぶのが好きだ。おかげで私は在任の6年のあいだに京都のいろいろなポイントを覚えたので、この街で道を迷うことがない。さて、そこから東南へ歩いた六角富小路の「宮脇賣扇庵(ばいせんあん)」で扇子を買い求めるのがこの日の最終目的。個人のものと、夏の終わりの贈答の品と。暑さが引く季節には来年の新柄の準備が本格化するとのことで、シーズンオフはない。この店の商いは江戸末期の文政6年(1823)年に始まるが、京都の老舗にはまだまだ上をゆくものがある。京都を歩くことは、歴史を掘り下げる楽しみに他ならない。

 

* 安井武雄は独立する前、片岡安の事務所で働いた。

佐野吉彦

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