建築から学ぶこと

2014/10/08

No. 444

事象に分け入ることから

発刊されたばかりの岩波新書「哲学の使い方」は現代人のための好著である。どの立場にある人にも重要な示唆を与えるだろう。著者・鷲田清一さんは、哲学はモノローグではなく他者との対話である、と語りかける。事象に見出す徴候や兆しから、世界をもう一度問い直してみる作業こそ大切だと述べている。一方で、この本は明瞭な解説本に留まらず、行動に出る前の基礎知識をしっかり提供しているところが素晴らしい。

ここで鷲田さんは「市民的知性」の重要性を強調する。もういちど、分岐してしまった知を結びあわせるべきではないか。ここにある専門領域の閉鎖化の問題は、先日聴く機会があった大江紀洋氏(雑誌「WEDGE」編集長)の講演での、専門家が劣化する現況を危惧していた話とリンクしていた。ちなみに、大江氏は社会に新旧世代の分断が進行していることを憂いていたが、世代だけではないさまざまな裂け目は鷲田さんが提唱する「不可解なものに身を開き、耳を澄まし、自分の考えを再点検する」ことによって結び合わせができるように思われる。

10月最初の週はこのように、一冊の本が私の中で不思議な出会いを導いていた。鷲田さんが「徴候と兆し」の話の拠りどころとしていた歴史学者カルロ・ギンズブルクの言は、直後に読んだ後藤武さんの「ディテールの建築思考」(彰国社)の巻頭に登場して少し驚いた。建築の細部とは、純粋なデザイン行為というよりも、それに先立つ分厚い歴史を背負う場所ということが可能である。名建築との対話もそうした発見から始まり、建築そのものへの問いかけへと続いてゆく。

そのカルロの母である作家ナタリア・ギンズブルクを敬愛し、その同じ道をたどることになった作家が須賀敦子さんである。神奈川近代文学館で開幕した「須賀敦子の世界」展はその背骨となる部分をていねいに紹介している。こうして見ると、優れた人たちは、世界に向きあい、本質が浮び上がってくるまで、じっくり時間をかけている。人々の真摯な軌跡と出会った秋だった。

佐野吉彦

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