建築から学ぶこと

2014/10/22

No. 446

武蔵の国の穏やかな日

2週続いた台風が夜半に過ぎ去ったあとの上尾の朝はさわやかで静かだった。次の朝の近くの北本市での用事に遅れないようにと、この地に初めて投宿したのである。埼玉県上尾市は22万余の拠点都市で、首都圏におけるベッドタウンとして1960年代に急成長した。私は、この地の名を上尾事件で初めて認識している。国鉄末期に近い1973年3月の高崎線上尾駅で、国鉄乗務員の順法闘争に乗客が怒りの行動に出た事件である。その後市街地での闘争という形式そのものも下火になり、労使対立の課題を抱えていた国鉄も民営化した。今は都心への経路は東北/上越新幹線や埼京線が加わるなどして、路線や電車の容量オーバーの事態は大きく改善されている。あれから40年が過ぎたが、事件は高度成長期にあった都市近郊の裂け目を明らかにするものだった。

さて、大宮からJR高崎線に沿って、上尾・桶川・北本・鴻巣の順で都市がひとつひとつ登場する。かつての中山道のルートには、全般的には屋敷森や里山のある穏やかな田園景観と地域の核のにぎわいが程良く共存している。増加を続けた人口も今は安定期に入ってきたが、今後の働き盛りの雇用の確保は、充実しつつある高速道路網が効果もたらすかもしれない。強烈な個性はないけれど、広域圏のなかでコンパクトシティの可能性を実証するには面白いエリアである。

ところで、この日の用事とは、そうした都市群のひとつ北本市の新庁舎の竣工式に出席することだった。その敷地は市の中心部・シビックコアにあるが、今回中心部に芝生広場(災害時にも機能する)を設けて、庁舎はじめ諸施設が穏やかに取り巻くように再配置される。北本の人口は7万4千人と小ぶりながら、市民による文化活動、アート・プロジェクト(「北本ビタミン」など)の土壌があるところで、シビックコアはそのような多様な活動の受け皿となる。コンパクトシティの素材は揃っているのだ。

佐野吉彦

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