建築から学ぶこと

2016/06/08

No. 526

武満徹の言葉と軌跡から

作曲家・武満徹(1930-96)は<音がにじみ合うような音楽を作りたい>と考えていたという。実際、その独特な響きは、多様な楽器のなかに可能性を見出し、様々な演奏者の肉体に触発されながら、紡ぎ出されたものである。また彼が<音の運動の自発性を活かしたい>と語っているのは、世界とはさまざまな関係性の総体であり、重層的な時間構造でできあがっていることを示すステイトメントだと言える。立花隆・著「武満徹―音楽創造への旅」(文藝春秋 2016)は、そうした作曲家の道のりと試みについて、インタビューを軸にして徹底的に掘り下げ、創造の基盤を探りあてることに成功した渾身の大著である。
近年コンサートで聴く武満がとても穏やかに聴こえるのは、40年を超えて演奏者がその音楽が演奏者と聴き手の身体にすっかりなじんできたからであろう。私は武満音楽とはいろいろなところで出会ってきたが、最初は1970年大阪万博の鉄鋼館で、そのとき彼は実験的な音づくりに立ち向かっていた。この本には、そうしたひとつひとつの作品発現の時期に武満が何を感じ、何と格闘していたかが解き明かされていて、とても興味深い。いかにして、ひとりの日本の創造者が世界で存在感を認められるようになったか。立花隆は、それを掘り下げつつ、ひとりの人間とともにあった戦後史について語っている。
そこにある秘密とはなんだろうか。立花の問いに答えて武満は答える。<言葉は、なにかある運動を起こすもの、つまりその言葉に接することによって人の内部に波紋を起こすものでなければいけないと思う。それで音楽というものも、人の内面に入っていって振動を与える。それからある変化を与えるものでなければならない>と。彼が生み出した多義的かつ多層的な音楽には、そうした普遍性のある呼びかけがあった。小さなピアノ曲から始まった軌跡は、やがて世界を静かにゆさぶり、音楽に限らず多くの創造者に影響を与えたのである。

佐野吉彦

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