建築から学ぶこと

2016/09/28

No. 541

共有できる世界:上海、香港そしてアジア

今から25年ほど前の上海はまだ車社会ではなく、自転車が卓越していた。街のどこにも英語の表記はほとんどなかった。そのかわり、シンプルで美しい、漢字の看板だけがあった。当時は浦東の開発がそろそろ動き出そうかという時期だったが、程なく加速度がつき、街はあっという間に大きく高く、またカラフルになった。そして、今日のアジアはどこも同じように変貌の道を突き進んでゆく。もはやどこかの国で横文字の名前を見つけても、それがどの国のブランドなのか見分けがつかない。この25年の交易はあちこちの風景に手を付け、がらりと変えた。でもそれを嘆くよりは、新たに生まれたそれぞれの地域性に希望を見出したいものだ。
もう少しさかのぼった30年ほど前、はじめて香港を訪れた。そのときに印象的だったのは、地名が二つの言語で書かれていることだった。とりわけ銅鑼湾がCauseway bayで、金鐘がAdmiraltyといった外し方は新鮮で、かつての名画のタイトルの日本語訳のようだった(例。「翼よ、あれがパリの灯だ」=The Spirit of St. Louis)。じつはそれは背景にあるアジアの歴史のデリケートさを示したものとも言えるのだが、皆がそれを感じながら共存できる幸せを喜ぶべきであろう。
さて、久しぶりに訪ねた香港は相変わらず文化が混じりあうところである。今は民族の広がり以上に、過去と未来が併存するようすも面白い。訪問はARCASIA(アジア建築家評議会)の専門家実務(Professional Practice)委員会に出席するためだったが、各国の実務をめぐる現況や課題を聞いていると(こちらの報告もしつつ)、個性や取り組みに広がりはあっても、共通の問題意識を持てるものだと納得感を抱いた。走り始めたときの風土は異なっても、アジアはいろいろなことを、そして未来も共有しながらコマが確実に進んできたのである。

佐野吉彦

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