建築から学ぶこと

2017/03/01

No. 562

ベトナムの早春

第2次大戦が終結して日本の進駐が終わったのち、ベトナムは宗主国フランスとの関係が不安定化した。長い混迷を経て1954年の<ディエン・ビエン・フーの戦い>と呼ばれるいくさによって、ベトナムは独立を果たすことができた。その後の経過は複雑で、年内にベトナムは南北に分れた独立国家となり、そこに大国がかかわったところからベトナム戦争(第2次インドネシア戦争)の歯車が回り始める。結局、パリ協定での平和とひとつの国家誕生までさらに20年の歳月を要することになった。 それは、1954年に日本に生まれた私が成人するまでの期間にあてはまる。そのあいだ、ベトナムは遠い土地であったにもかかわらず、新聞やテレビ・ラジオ、あるいは歌を通じて、当地で起こっていたことがおおよそ聞こえていた。なので、意外なくらいベトナムは身近である。今日、さまざまな都市文化やビジネスが花開くベトナムに出かけ、そこでハノイやダナンやフエ(ユエ)といったかつての拠点都市の名前、ホ-チミン市にあるディエン・ビエン・フー通りの名を目にすると、その時期の記憶が鮮やかに蘇ってくる。ホーチミンでは、ホテルで高齢のアメリカ人の旅行者たちに何人にも会ったが、彼らにもある種の感慨があるだろう。そういうこともあって、平和なまちを歩き、人と出会うのは楽しいものがある。 ベトナムに限らず、アジア各国と日本には、さまざまな歴史の因縁がある。また、同じように西洋の圧倒的影響を受けたことは共有している。地域の未来を展望するなら、このような歴史は忘れるより弁えながら進んでゆくのが賢い。アジアにある戦災復興や災害復興、歴史的街区の再生、急激な都市化といったテーマは、微妙なツボを知る同士がうまく連携することでうまく運ぶのではないだろうか。

佐野吉彦

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