建築から学ぶこと

2017/03/22

No. 565

はじまりの1921年

大正時代の後半。第一次世界大戦の10年が終息してみると、日本はいつしか債務国から債権国となり、国力は急速に高まり、大都市は好景気のもとで活力があふれはじめた。重工業が勢いを増していた大阪市はさらに1923年の関東大震災の被害から逃れた人々を吸収して人口を拡大し、急速な膨張を遂げる。その動きの中にある1921年(大正10年)は象徴的な年と言えるだろう。大阪では新しい市庁舎(現庁舎の場所にあった、先代の庁舎)が竣工するエポックがあったが、都市と社会に不安定な問題を抱えるようになった。市庁舎の設計に関わった片岡安(1876-1946)は、はじめは建築実務者の立場から、やがて財界の立場に身を置いて課題解決に向きあうことになった。今年100周年を迎える日本建築協会の設立、のちの大阪工業大学の設立、大阪ロータリークラブの設立、大阪商工会議所会頭就任など、さまざまな切り口からの社会インフラづくりは今も活動が受け継がれている。
それにしても、活力ある都市はさまざまな人材と問題意識を生み出すものだ。大阪におけるもうひとりが、片岡の3歳下に当たる、サントリーの創業者・鳥井信治郎(1879-1962)である。1921年は、鳥井が興した商店が寿屋に名を改めた年だが、この年に大阪における生活困窮者支援を始めた。それ以来、社会事業を事業の柱に置く鳥井の姿勢は今日まで継承され、社会福祉法人・邦寿会の名で活動が続いている。片岡と鳥井は異なるアプローチで都市の問題に向きあったのである。ところで、片岡の事務所にいた安井武雄(1884-1955)が開いた設計事務所は女婿・佐野正一(1921-2014)の手で受け継がれて長い生命を保ち、鳥井が始めた事業推進のためにいま役割を果たしているのは興味深い縁ではなかろうか(とは私の感慨である)。

佐野吉彦

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