建築から学ぶこと

Learning from Architecture

対話と、相対性視点は、近代社会の基盤である

  • No.568
  • 2017年Apr12日

詩人の大岡信さんが4月5日に亡くなった。詩作に軸を置きながら、評論・批評の面でも継続的に活動を続けた人である。なかでも、1979年から2007年まで続いた「折々のうた」に代表されるアンソロジーの仕事は広く知られている。朝日新聞紙上の「折々のうた」開始直前の1977年に、大岡さんはこのようなことを語っている。<正統的なものがどこにあるかが確定できれば、それに従って自分を棚に上げて批評することができるだろうけれども、そうでない限りは(中略)、自分がそこに巻き込まれている状態において、なおかつ自分を離れた形で歴史を見て、日本語という言語による作品の膨大な歴史を貫いている何らかの太い力線を見つけて、正統的なものは何だ、というようなことを探し出して(中略)みよう>というものだ。このくだりは同じく詩人の谷川俊太郎さんとの対談のなかにある。大岡さんは世界の多様さや豊饒さときちんと向きあってきたのである。生涯を通じて<たいてい、物事は相対的に捉えたほうが正確ではないか>という姿勢があった。戦後日本の社会が、大岡信という知性を得たことはじつに幸せなことであった。
ところで、この対談は「エナジー対話」シリーズ(エッソ・スタンダード石油・広報誌)に掲載され、「批評の生理」(思潮社1984)に収められた。このシリーズは編集者・仕掛け人である高田宏さん(のちに作家)の手で多くの密度の高い対話が導きだされ(「劇的言語」、「科学者の疑義」、「生のかたち」など)、向きあう両者の間に本質が浮かびあがってくる。ちなみに、谷川さんは大岡さんに応じながら、<他者というものをどこまで自分のなかに抱え込めるか。(中略)それは芸術作品の創造から批評、あるいは実生活に至るまで、人間活動の基本問題だろうと思う>と述べている。時代を少しさかのぼってみると、いまの時代が忘れがちな視点が明らかになる。本来、近代社会は<対話>を基盤に据えながら前を目指してきたように思われるのだ。

  • 豊穣な手ごたえ

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