建築から学ぶこと

2017/05/03

No. 571

中之島が輝いた時代

大正末期の大阪は好景気に包まれていた。1925年(大正14)には大阪市が近接する45町村を合併して人口・面積ともに日本一に達した。世に言う「大大阪の誕生」である。翌年には御堂筋拡幅が着工した。幸いこの時期を象徴する建築はいくつか現存している。1924年の大阪倶楽部、1925年のダイビル、中央消防署今橋出張所(ダル・ポンピエーレ)、1926年の住友本館(三井住友銀行大阪本店営業部)、大阪府庁本館、旧・大林組本店は、おのおのが現役である。建築の価値もさることながら、その多くは運営母体によって健常に保たれているということもあるだろう。おかげでそれら建築が時代の空気を伝える役割を果たしている。現代人にとっても、設計施工に携わった者にとっても、幸福なケースである。
一方で、1926年に朝日新聞社が建設した朝日会館(設計:竹中工務店)は戦後に解体され、やがて1931年竣工の大阪朝日ビル(竹中工務店)などとともにフェスティバルタワー・ウェストにまとめられた(日建設計)。大阪朝日ビルは石川純一郎が担当し、最近まで流麗な水平ラインが印象的だった。それに先立つ朝日会館は、同じ竹中でも松下甚三郎による、6階建の黒い人造石の外装に金色のアクセントを配した、対照的な表情である。どちらも国境を越えて共有する時代の精神が灯っている。地下から2階までが朝日新聞の業務エリアで、現代美術展が開催されるなどした展覧会場で、4階から上は1500人収容のホールという複合ビルであった。このホールは、1958年竣工の旧・フェスティバルホールに受け継がれるまで、最先端の音楽や演劇を楽しむ文化の中心の役割を果たした。その実験的な建築デザインは、中身も野心に満ちていた。ちなみに、1941年にはバッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」の日本初演が行われたという。

 

[追記]2017年5月9日に、大阪倶楽部において、1941年のプログラムの再演コンサートが開催される(日本テレマン協会 第480回マンスリーコンサート 「復刻エタ・エーリッヒ=シュナイダー来阪公演」)。佐野が解説を担当する。

佐野吉彦

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