建築から学ぶこと

2017/10/04

No. 592

建築にある魂、あるいは鋼のような思考 – 徳島にて

ある時期、四人の建築家はそれぞれ深く四国にかかわりを持った。四国は彼らに機会を与えたが、そこに忘れがたい成果を築きあげた。JIA建築家大会2017徳島で開催された、NPO建築文化継承機構によるクロストーク「偉大な建築家に学ぶⅣ」が取りあげた4人は、近代建築と風土とが交差する角度がまったく異なるところが興味深い。
増田友也(1914-81)のアプローチは建築論と建築造形が一体不可分であり、正当的だがスリリングでもある。日本らしさを世界に通ずるものにする志は終生揺るぎない。長く京都大学で教鞭を執ったが、キャリアの後期では、徳島県鳴門市の多くの公共建築を手がけた。その人生を弟子である林一馬さんが語った。
山本忠司(1923-98)は、香川県に籍を置きながら、坂出市での人工土地方式の実現に携わったのち、瀬戸内海歴史民俗資料館の設計をまとめ、高い評価を得た。独立後も、香川の風土と責任感を持って向きあった、重厚な人生である。語ったのは協働者でもあった佐藤昌平さんである。
モダニズムの先例を受けながら社会派の眼差しを有した松村正恒(1913-93)にとって、愛媛県八幡浜市におけるあるべき公共建築の継続的追求は、濃密である。花田佳明さんはこれを「自己参照的操作」と言い表し、ひとつひとつ実現させる過程にある進歩・進化を切り出してみせる。
丹下健三(1913-2005)にとっては、育った地今治以上に、香川県庁舎設計における精華が眩い。日本建築に潜む内的なリアリティを、借り物でない思想を貫いて達成し続けた歩みの中にある、金字塔。影響力は大きかった。弟子である堀越英嗣さんによって、丹下健三の魂に鋭く迫ってゆく。
取り上げられた四人には、建築という仮説、あるいは建築を通して仮説を生み出す力が備わっていた。四人にチャンスを与えた風土や人のつながりを重ねあわせてみると、それぞれにある剛毅さが浮かび上がる。建築家というプロフェッションの奥行きはなかなか深いものがある。

佐野吉彦

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