建築から学ぶこと

2017/10/25

No. 595

腹の据わった人々 – 良質なドイツ

ヨハネス・ブラームス(1833-97)が「ドイツ・レクイエム」を作曲したのは30代の前半である。カトリックで用いるラテン語の祈祷文に代えて、ルターが翻訳したドイツ語による聖書の言葉を用いた。時代の精神とも言えるが、そこには彼の確信のようなものが感じられ、オーケストラと合唱が溶けあう響きは熟成の域にある。これは人がよりよく生きるための力を放つ曲であり、どこかにベートーヴェンが第9交響曲にこめたものと連なるところも感じられる。ブラームスは、まだこの時点では名高い4曲の交響曲には着手していない。ドイツ・レクイエムで達成した成果を乗り越え、ブラームスは次のテーマにさらに立ち向かうのであった。
現代ドイツでは、アンゲラ・メルケル首相(1954-)に、それと通じる志を見ることができる。彼女は、同じように自らが培ってきたメッセージを貫き、またドイツが向きあってきた近代をふまえながら、さらに難しいテーマに立ち向かう。かつて不寛容の起こった同じ地において、難民問題を取り扱うことはなかなかの試練であるが、逃げることはない。結果に批判を浴びることがないわけではないが、この腹の据わった積極性は見習うべきところがある。
建築で同様の志を挙げるなら、ワルター・グロピウス(1883-1969)がたどった軌跡ということになるだろうか。近代建築の実践者であるだけでなく、バウハウスを設立して、社会インフラとしての教育基盤をつくった。1937年にハーバード大学から招かれると、同じ取り組みをする。結果として米国におけるモダニズムの展開は進んだ。生涯にわたりエネルギーが枯渇しなかったのはすばらしい。グロピウスもまた、腹の底に長く続く確信と責任感を持ち続けたと想像する。彼らに、ドイツの良質な部分を見ることができる。

佐野吉彦

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