建築から学ぶこと

2017/11/08

No. 597

国と国をやわらかく結ぶ

先ごろ、ユネスコの「世界記憶遺産」のなかに、江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」が登録される見通しとなった。日韓両国の民間団体の共同申請による成果である。日本と朝鮮半島の交流は長い歴史を有しており、今回の対象は、そのなかで江戸時代に12回にわたって朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」の足跡である。通信とは、「信(よしみ)を通わす」という意味を持つ。それは、江戸だけでなく、江戸に上る道すがらのさまざまな逗留地において、善隣外交に努める旅であった。もっとも、そのはじまりである江戸時代の始まりには、文禄・慶長の役で傷ついた両国関係の回復や、徳川幕府の権威付けなどのねらいはあったようで、政治と距離を置いていたわけではないだろう。それでも結果的には、鎖国の時代にあって渡来の人々もたらす文化や情報の刺激が、下関から上関、京都から大垣へと快く、確かな足跡を残していった。何せ、凡そ450人前後の一行には、様々な専門家が参加していた。その痕跡は今日も地域の祭礼にもいくらか残り、そうした眼に見える足跡が、通信使ゆかりの町どうしを結びつけ、まちづくりの契機となっている。
共同申請には多くの資料つきあわせと討議があったという。民間外交が、そうした粘り強い作業をこなしたうえで目的を達成した意義は大きい。一方では、政府間のレベルでの日韓歴史共同研究(2002-5、2007-10)の取り組みがあった。今後も、両国による多角的な観点での共同作業によって、友好基盤・交易基盤を根固めすることは重要だが、あまり結論を急いでもいけない。プロセスを通じて相互理解の空気を醸成することが大切である。類似した努力の例としては、かつて対立した独仏両国が共同編纂した「独仏共通歴史教科書」(2003-6ごろ)の成果が思い浮かぶ。特筆されるのは、教科書で、事象にかかわる異なる見方について生徒がどう考えるかを問いかけている点である。事実に基づいた着実な議論ができる人材が育ってこそ、相互理解は進んでゆくからである。

佐野吉彦

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