建築から学ぶこと

2017/12/06

No. 601

安井武雄が拠って立つところ

すぐれた詩人は、現実との間に適切な距離を置く。プロの指揮者は作曲家に対して客観的なまなざしを忘れない。建築家はどうなのか。安井建築設計事務所が主催している「建築家・安井武雄の創造力 近代大阪の精華」展(12月26日まで大阪府立中之島図書館)は、安井武雄のドローイングや映像などを通して、建築創造の源泉を探る展覧会だ。安井建築設計事務所収蔵のドキュメントに加え、今回は東京大学から卒業設計の原本を借り受けることができ、ひとりの建築家の成長をじっくりとたどる機会となっている。
これはまた、安井武雄の代表作を生み出した、昭和初期の大阪という空間あるいは空気について考察する機会でもある。たしかに野村徳七や片岡直方といった実業家は、安井に自らの事業の夢を託した。建築家が紡いだ個性ある造形は、彼らが次にステージに進むための勢いを与えたのは事実だろう。留意したいのは、会場で詳しく紹介されている高麗橋野村ビル(1927)、大阪ガスビル(1933)が、竣工当時テナント貸しフロアを含む事業用ビルとして建設されていることである。野村や片岡の頭には不況下の算盤勘定が先にあるので、安井に美術品のような建築を期待したというより、安井の現実的な処理能力を見込んで設計を委せた可能性もある。大阪倶楽部(1924)が竣工し、自らの事務所を設立したとき、安井はすでに40歳。当時なら十分なベテランなのである。
安井武雄は、現実あるいは発注者と適切な距離を保ちながら先取りした解を見出すことにおいて優れていたのではないか。住宅作品でも、無理に同じ解に持ち込まない現実感覚がある。結果として自立した作品として高く評価されることになった。自分のスタイルは自由様式であると言い、アメリカの建築への批判をおこなったこともある安井の本心はなかなかわかりにくい。たぶん、安井がこだわるところはそこではなかっただろう。彼は剛毅な精神を持ち続けたともいえるし、プロの立位置を示そうとしていたのかもしれない。安井武雄はまだまだ謎めいている。

佐野吉彦

安井武雄展(2017.12.1-26) 安井武雄展の会場風景

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