建築から学ぶこと

2018/04/04

No. 617

この仕事の中にある、社会的使命

年度が替わると、どの分野にも新人がどっと増える。今年の早咲きの桜のように、街のあちこちで一斉に咲きほこっている感がある。わが事務所の入社セレモニーでの私は、「設計の課程で生み出す知恵、協働者に伝えるメッセージが、人に希望を与え、社会を変え、明日を切りひらく力を生む。建築の設計には大きな社会的使命がある」と話したが、これはまさにこの職能が時代を越えて引き継いできた規範であり、新人も同じ土俵に乗ることになる。
そう、いつの時代も建築は社会の空気を一変させる可能性を宿している。別の言い方をすれば、それは都市に向けて投げかけるあらたな仮説というべきものだが、じつは成否が読めないところがある。近代建築史の泰斗・石田潤一郎さんの表現を借りるなら、<地に足が着いていないことが「近代」なのではないか>(*)という見方ができる。たとえば京都は都市計画においても、建築単体にとってもいろいろなトライアルが繰り返された場所で、結果として<多元的なモザイク都市>(*)としての魅力があふれることになった。仮説がありすぎたために、意図とのずれも矛盾も過剰に生まれたということである。そのために、京都の現実は都市を読み解く格好のテクストなのだが。
一方で、石田さんが語るように<景観を形成してきた当事者たちは必ずしもモザイク性を意図していたわけではない。むしろ、「あれか、これか」の二項対立のなかにあった>(*)はずだった。かたちをつくる当事者の都市計画や建築のプロは、それぞれ真面目に社会に向きあってきたのである。だがこれから都市の先を見渡すとき、都市に受け継がれた文化や、生態系をゆるやかに維持する視点はますます重要になるだろう。したがって、建築に留まらない、懐の広い視点からどのような提案ができるかが問われる正念場にいる。どの分野のプロにも、よりよい未来・間違いのない未来をつくる社会的使命があるはずで、それは建築のプロも同様である。

 

* 石田潤一郎「建築を見つめて、都市に見つめられて」(鹿島出版会2018)より引用

佐野吉彦

写真は、芦屋市の個人農地に育てられているシダレザクラ。写真手前の彼は景観と生態系の維持に自ら取り組んで

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