石田潤一郎教授寄稿「建築家・佐野正一に学ぶ」を転載

去る3月20日(木)に逝去しました当社の前代表取締役相談役の故・佐野正一について、5月2日(金)付けの日刊建設工業新聞で、京都工芸繊維大学の石田潤一郎教授の追悼寄稿文が掲載されました。

「建築家・佐野正一に学ぶ」というタイトル、「機能主義とローカリズム」という見出しで、機能主義を根底とした佐野正一の設計理念・思想から、一人の技術者としての人柄など伝えていただきました。

石田教授には、2003年の書籍『建築家三代~安井建築設計事務所 継承と発展』(発行:日刊建設工業新聞社、発売:相模書房)の中での、「佐野正一の建築デザイン」の寄稿をはじめ、佐野の生前、さまざまなメディア等で佐野正一について語っていただいております。

今回の追悼文掲載に際し、執筆いただいた石田教授ならびに日刊建設工業新聞社にあらためて感謝申し上げます。各位のご了解、ご協力をいただき、以下に寄稿文の全文を転載させていただきます。(作品写真:サントリーホールは紙面掲載。その他、今回補足掲載)

現在、組織事務所としての当社の礎を築いた、建築家・佐野正一の一面をご理解いただければ幸いです。

 

◆石田潤一郎(いしだ・じゅんいちろう)プロフィール

1952年 鹿児島市に生まれる。76年 京都大学工学部建築学科卒業、81年 同大学助手、95年 滋賀県立大学環境科学部助教授、2000年 建築史学会賞受賞、01年 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科教授、03年日本建築学会賞受賞(論文)「近代日本の建築と建築家に関する多面的な研究」、現在 同大学大学院工芸科学研究科 建築学部門 教授 工学博士

 

(安井建築設計事務所 広報部)

 

 

 

寄稿/石田潤一郎/建築家・佐野正一に学ぶ-機能主義とローカリズム

3月20日、安井建築設計事務所代表取締役相談役の佐野正一氏が亡くなった。そう書き出してみたが、「氏」と呼ぶのはどうにも抵抗がある。私にとってはやはり「佐野先生」と呼んでしまう存在であった。「賢人」というにふさわしい風格を備えていて、こちらはおのずからその言葉に耳を傾ける姿勢をとることとなった。
佐野正一氏の語り口は実に首尾の整ったもので、言いよどむこともなく、また議論が先走ることもない。速記録がそのまま完全な文章となっていた。かといって少しも堅苦しくない。多々ますます弁ずといった体の饒舌でもない。構えたところのない、ゆったりとした口調で、時折、ウィットに富んだ冗談も混ぜた。そのざっくばらんな語りのまま鋭い本質論に立ち返って、老人の閑談と気を抜いている聞き手に冷や汗を流させるのであった。語るべき理路が頭の中で完全に整理されていることが如実に伝わってきて、私などはその明敏さに常に気圧される思いだった。

大阪国際空港(伊丹)旅客ターミナルビル<1969年>
大阪国際空港(伊丹)旅客ターミナルビル<1969年>

佐野正一氏の設計方法論は、自身が語るように、機能主義が基本にあった。工学的発想を好み、たとえば交通機関の計画において、乗降客の流動を数理的に分析する方法をいち早く取り入れている。構造計画、エネルギー・システムについても深い理解を示していたという。「合理」を突きつめる態度は頭脳の明晰さと実によく照応するものだったといえる。

大阪ガスビル新館増築<1966年> 左が安井武雄設計の旧館
大阪ガスビル新館増築<1966年> 左が安井武雄設計の旧館

それだけに「理」にそぐわぬ建築には批判的であった。ただ、佐野氏は卒業設計で辰野賞を受賞していることからもわかるように、意匠についての関心と能力は人一倍高かった。氏は岳父・安井武雄の名作「大阪ガスビル」の増築を手がける際「恐怖に近い圧迫を覚えた」と述懐している。その苦悩は、旧館の美を深く感得しうる感性を有していたがゆえであった。その末に、きわめて的確な増築を成し遂げたことは広く知られるとおりである。

氏は好きな建築家としてエーロ・サーリネンを挙げている。また若いころの作品にはアールトの影響がうかがえる。どちらもモダニズムの抽象美の中に有機的表現を取り入れた建築家である。佐野氏の造形の奥にも、また緊張を解きほぐすようなヒューマンなたたずまいが原形質のように存在する。

サントリー山崎蒸溜所<1959年>
サントリー山崎蒸溜所<1959年>
戸塚カントリー倶楽部クラブハウス<1997年> 撮影=三輪晃久写真研究所
戸塚カントリー倶楽部クラブハウス<1997年> 撮影=三輪晃久写真研究所

初期の作品「サントリー山崎蒸溜所」、あるいは晩年の「戸塚カントリークラブ」は、そうした、合理主義の根っこにある慰安性をはっきりと感じさせる。氏は自分の設計方法は「機能主義とローカリズム」という。その「ローカリズム」という言葉は多義的だが、本質は、故郷のような温もりにあるといって大過ないはずである。

サントリーホール<1986年> 写真は2007年の20周年改修 撮影=黒住建築写真事務所

氏は人も知る文化人であり、西洋的教養人であった。なかんずくクラシック音楽についての素養はひととおりのものではなかった。その佐野氏がカラヤンと手を携えてサントリーホールの設計を手がけ、この「音の宝石箱」を完成に導いたのは、氏にとっても、その音を享受するわれわれにとっても快事であったといわなければならない。

東京国立博物館平成館<1999年> 撮影=エスエス東京
東京国立博物館平成館<1999年> 撮影=エスエス東京

佐野氏は東京国立博物館平成館を最後に設計の鉛筆を置く。「この仕事は私の最終、最高の作品である」。書き下ろした『建築家三代』で氏はそう記した。キャリアの最後にこのように言い切れる建築家がどれほどいるであろうか。

氏は建築家として実に幸福だった。氏は悠々と余生を楽しみ、明晰な頭脳を保ったまま世を去った。天寿を全うしたというにふさわしい終焉であった。そうはいっても、私にとってはまだまだ教えを請うべき多くの事柄があったのに、もはやそれが叶わないという無念さが残るのである。

 

[2014年5月2日 日刊建設工業新聞 石田潤一郎 寄稿:建築家・佐野正一に学ぶ-機能主義とローカリズム より]

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