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建設通信新聞「長男・吉彦氏が語る佐野正一」

去る3月20日(木)に逝去しました当社の前代表取締役相談役の故・佐野正一について、日刊建設通信新聞社のオファーを受け、長男で当社の社長・佐野吉彦がインタビューに応えました。6月12日(木)付けの『建設通信新聞』に掲載されております。

建築を通した父との思い出から組織を牽引する立場として受け継ぐべき大切なもの、今後の発展へ向けた想いなど。以下、日刊建設通信新聞社の了解をいただき、掲載全文を転載させていただきます。

 

(安井建築設計事務所 広報部)

 

信頼に応える『革新』受け継いで

3月に逝去した安井建築設計事務所代表取締役相談役・佐野正一氏のお別れの会が12日、大阪市北区のリーガロイヤルホテル大阪「ロイヤルホール」で開かれる。3代目社長として同事務所を日本有数の組織事務所として育て上げ、日本建築士事務所協会連合会の会長を務めるなど、建築設計界の地位向上にも尽力した。半世紀以上にわたりリーダーシップを発揮した正一氏の背中を見続けた長男で同事務所代表取締役社長の吉彦氏が、建築家、建築事務所代表としての佐野正一について語った。

 

佐野正一(さの・しょういち) 1921年大阪市生まれ。42年に東京帝国大学建築学科卒業、旧鉄道省(後の国鉄)に入る。海軍技術将校として従軍、戦後は国鉄を経て61年、安井建築設計事務所の代表取締役社長に就任。89年から同社代表取締役会長、吉彦氏の5代目社長就任(97年)後も代表取締役相談役を務めた。3月20日腎不全のため死去、93歳。建築界において広く社会・公共に貢献した功績が認められ正五位を叙位された。

 

建築家としての原点

「私が最初に出会った佐野正一の建築が『天王寺民衆駅ビル』(1962年)。確か6歳の頃で、祖母(創業者・安井武雄の妻)に連れられ見に行った。コンコースの高い空間と、改札口の向こうに見える列車群・・・。幼いながらもすごく格好良いと感じたことを良く覚えている」

天王寺民衆駅ビル(撮影:朝日)

天王寺民衆駅ビル(撮影:朝日)

「設計のルーツをたどってみると、安井建築設計事務所に入る前、国鉄に勤務していた時代に建築における機能性というものを体得したのではないか。明瞭に要求条件を整理することを初めに行うという基礎訓練は、おそらくこの時期に培われたものだろう。そして建築家としては最も楽しい時期であっただろうとも思う」

「建築家としての佐野正一は、生涯にわたって無理なデザイン先行の設計はしなかった。デザイン能力でいえば、屋根伏の名手だったと思う。東京国立博物館平成館(1999年)や戸塚カントリー倶楽部(1997年)に見られる屋根伏せの安定性は、建築計画の安定性と合理性の証である。実際、家でも事務所でもきわめて正確で誠実なスケッチを描いていた。その一方で大阪市中央区総合庁舎(1989年)では非対称のデザインの可能性に挑戦するなど、教条的なモダニストでも伝統主義者でもない柔軟性も持ち合わせていた」

安井の名を背負う重責

「安井事務所に入ってからは、岳父・安井武雄の名前で獲得した仕事を組織としてどのように信頼を継続するかという事に相当、苦心したはずだ。大阪ガスビル新館(1966年)や野村総合研究所(同)などは、安井武雄を始めとする先達への敬意なくしてはやり遂げることのできなかった仕事だ」

「一方で大阪国際空港旅客ターミナルビル(1969年)やサントリーホール(1986年)はゼロからの闘志を燃やした仕事として、図面が家の机を長きにわたり占領し続けるくらい例外的な仕事だったが、デザインだけでなく文化の型を作りだす経験にやりがいを感じていたと思う」

「結局のところ何を受け継ぎ、何を変えていくかということは、一つひとつの仕事を手がかりにし、掘り下げることでしか、展望は開けない。安井武雄という偉大な創業者が築いた伝統を受け継ぐ苦労と節度はあったが、その中でいかに無理なくやり遂げるかがその後の重要なテーマとなった」

「組織とは顧客の要求にこたえるために整えるべきもの、と認識していた。業績の拡大に比例して設計部門を中心にエンジニア部門、都市計画部門に人材をそろえた。また、先取りして取り組んだ構造計算プログラム開発への執念は、今日のBIMへの取り組みにつながっている」

「サントリー社長だった佐治敬三氏(故人)を始め、優れたクライアントとの出会いも、佐野正一のリーダー能力を大いに高めていった。クライアントに学び、信頼にこたえていくその姿勢は、安井建築設計事務所の90年の歴史のなかで現在も受け継がれている『革新』となり、顧客ニーズにこたえるマネジメントビジネスや(2011年に設置した関連会社)安井ファシリティーズにもつながっている」

サントリーホール(撮影:黒住建築写真事務所)

サントリーホール(撮影:黒住建築写真事務所)

リーダー像の相違

「クラシック音楽は佐野正一にとり、着実さと前進する力を両方備えたものとして単なる趣味にとどまらない大切なものであった。そのオーケストラの演奏に耳を傾けている時、父が見いだすものはコンダクター(指揮者)による明瞭なリーダーシップであった。ちなみに私自身は、オーケストラの中でプレイヤーどうしの間合いを感じながら演奏をまとめるコンサートマスターにより注目している。人が人にどのような影響を与え、人との間に何を感じるか。そこから組織は相対的に変化すると私は思うのだが、そういう観点は父の関心事であったかどうか」

「企業の精神と絶えざる努力の中枢にある最高責任者の選任は、最も難しい事業であろう。私に経営を委ねる時点で、どのような構想を描いていたかはよくわからない。ただ、その後の経営を見ていて自分と同じテーマを目指しながら、随分アプローチは違うと感じていたことは間違いない」

「長きにわたる団体活動のなかで、専門家の社会的責任について考えてきたと思う。とりわけ生まれ育った大阪への責任感は、人一倍のものがあった。建築家としても、経営者としてもまだまだなすべき事があると最後まで考えていたようだが、実際には亡くなる前に全てバトンは引き継がれていた。スムーズに継承できたことに感謝したい」

 

【2014年6月12日 建設通信新聞 デザイン2014~Architecture Front から】

 

 

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