17号 半田赤レンガ建物

まちを活かす、物語のある建物

半田赤レンガ建物

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散策が楽しい〝蔵のまち〟半田。その新たなスポットとして

注目を集める、再生した築百十余年の赤レンガ建物

愛知県の南西部、知多半島の中央に位置する半田市。良質な地下水に恵まれ、江戸時代から廻船によって、味噌、酒、醤油、酢などの特産品を江戸に運んでいた――そんな醸造と海運で栄えたまちは、今も運河沿いに軒を連ねる黒壁の醸造蔵が、独特の風情を醸し出している。
 日本で唯一の酢の博物館、酒造りの道具や資料を展示する文化館など、まちの文化と伝統を伝える醸造関連の施設をはじめ、明治期に建てられた建築物など見所の多い、この〝蔵のまち〟で、今、市の内外から関心を寄せられているのが、2015年7月に公開された「半田赤レンガ建物」だ。

明治建築界の三巨頭のひとり、妻木頼黄(つまきよりなか)が設計を手がけ、現存するレンガ造りとして屈指の規模を誇る「半田赤レンガ建物」は、カブトビールの製造工場として1898年に誕生。2004年に国の登録有形文化財に登録、2009年には近代化産業遺産に認定されている。複数の会社の手を渡りながらも当初のかたちが遺されていた、産業史、建築史から見ても価値の高い建物を市民のため、そして近代建築遺産として、観光にも活用していきたい。半田市の意向を受けた企画部の本梅 誠と都市デザイン部の杉野卓史は、
「貴重な文化財としてただ飾っておくのではなく、市民のみなさんをはじめ、多くの方々が活用できる建物にしたいという市の考え方に共感できたので、新たに息を吹き込むつもりで改修に取り組みました」と話す。

解体途中で姿を現した赤レンガの建物。その保存に市が動き、

積み重ねられた歴史を再活用するという思いで進めた改修設計

当時の最新技術と設備を導入して創建されたカブトビールの工場は、戦時下には中島飛行機製作所の衣糧倉庫、戦後は日本食品化工の工場として稼働。その後、同社の移転に伴い、1996年の工場の解体作業中に赤レンガの建物が現れると、その歴史的価値に注目した半田市が保存のため、買い取ることを決定。市の財産として、市民が自慢できる建物として、どのように活かすことができるか。建物内部の調査と同時に、修復及び活用方法について検討が重ねられ、20年の歳月を経て、常時公開へと至った。

半田市出身の本梅、知多半島出身の杉野という地域に通じたふたりが、
「山車・蔵・南吉・赤レンガといわれるように、市には300年の伝統を持つ山車まつり、江戸時代の面影を残す蔵と運河、児童文学者・新美南吉の記念館などの観光資源があります。ただ、これまでそれぞれが上手く連携していなかったので、この建物を一連の観光スポットを回遊する動線の拠点として活用してゆくために、多くの方に話をうかがいながら方向性を決めていきました」というように、改修設計に先立ち、まちづくりの視点から、建物の活用計画は策定された。

調査に加えて不可欠だったのが、建物の安全性を確保することだった。
活用方針が決まり、具体的な改修設計の段階で参画した設計担当の清水 満は、
「戦後、制定・施行された建築基準法や消防法以前の建造物を、不特定多数の人が足を運べるものにするためには、耐震改修工事を行うことが大前提で、いくつかの方法を提案しました。半田赤レンガ建物は、建物そのものが展示物なので、クラシックなのは外観だけで、中に入ったときに歴史の面影が感じられなければ、わざわざこの建物を遺す意味はありません。設計者は、建物がまちに及ぼす影響をつねに考えていますが、特に今回のように空間ありきの改修を行うに当たっては、耐震補強の検討と同時に来訪者が違和感を覚えないよう、素材や色選びにも腐心しました」と話す。

築百十余年の建物に当時の図面が残っているはずもなく、設計者いわく、改修作業は〝ほかにないことだらけ〟だったという。文化財指定を受けるなどして、建築基準法の適用除外という選択肢もあったものの、今回は現行ルールに則って進められた。改修は、外観の意匠を損なわないため、レンガ壁の補強に鉄筋挿入工法を採用。最長21メートル、延べ約8000メートルの鉄筋を挿入することは、まさしく現代の職人技だった。

当時の最高の技術を導入した工場をつぶさに調査した本梅と清水は、
「外壁に設けられた最大4層の空気層、半地下の利用など、電気をできるだけ消費しない断熱技術を現代の資材や技術と比較しながら、もののない時代の先人の知恵に鳥肌が立つこともありました。私たちも工場の設計を手がけているので、ここは結露対策で溝をつくったのかなとか、水の処理のために勾配をつけたのかなとか、自分たちが悩むところで同じように悩んでいることがうかがえるのも、新築にはない発見でしたね」と話す。

時代の波をかいくぐって生き残った、半田市の近代産業史にも

重なる建物が持つ力が、人をつなぎ、まちの拠点になる

高温多湿な気候に加え、地震や自然災害も多い日本において、築100年を超えて現存する建物の数は決して多くはない。一般にレンガ造りは地震に弱いといわれるが、しっかり積んだレンガの目地をモルタルでつなぎ、断熱複壁、多重耐火床などの構造を取り入れた頑強な躯体の建物は、この地方で起きた三度の大きな地震を生き延び、ほぼ原型を留めていた。

 北面の壁に残る機銃掃射痕が伝えるように、戦時中は空襲を受けるなど、危機に晒されながら、時代の波をかいくぐって現在に至った――そんな波乱万丈な〝人生〟を歩んできた建物の改修設計に携わったことについて、
「人間も、若々しい青年期、ばりばり働く壮年期、ロマンスグレーの中年期と、それぞれの年代で異なる魅力があるように、竣工当時、最新の設備でつくられた建物が、歳月を経て、人間でいう手当が必要になり、時代に応じた改修作業を行うことで、再び歩き出す――そのプロセスに立ち会ったことで、建物は生き物だなと、改めて思いました」と清水はいう。

また、地元のよしみで、期間限定の公開時から足を運んで見学していたように、半田赤レンガ建物との縁が深かった本梅は、
「当時はほとんど大都市でしか行われていなかったビールの醸造に、一地方から果敢にチャレンジし、明治建築界の三巨頭といわれた妻木さんに工場の設計を依頼する。こうした先人の進取の気性によってつくられた赤レンガの建物をまちの財産として活かそうと、保存に関わった方々の熱意をつなぐために、この仕事を通じて大勢の方と出会いました。修復に必要な赤レンガも、ほぼ同時期に生産されたものを譲り受け、展示のため、まちと建物の歴史を調べる過程でカブトビールの関連グッズの収集家の方と知己を得るなど、今回は運命的な出会いが重なって進んだプロジェクトでしたね」と振り返る。

ふたを開けてみないと状態がわからない改修工事は、工期やコストコントロールの面で、新築にはない苦労が伴うという。だが、大人の社会科見学などでも注目されているように、日本人の近代化産業遺産への関心は高い。改修によってまちの近代史と重なる物語のある建物を遺してゆくことは、設計者にとっても、その苦労を補って余りある仕事に違いない。

写真:*スタジオムライ 提供:**乃村工藝社、***清水建設

本編は2015年12月発行「対話力は設計力」-17号 [発行:安井建築設計事務所、制作・編集:株式会社Eat creative]から転載されたものです

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