大阪倶楽部は、1912(大正元)年に紳士的な社交の場を作ろうと設立された。初代会館は野口孫市の設計によって1914(大正3)年に竣工した。外観・室内とも多くの様式を破綻なく組み合わせた秀作であったが、1922(大正11)年に火災によって焼失した。再建にあたっては、片岡安・宗兵蔵の両建築事務所と住友工作部の3組織から再建案を提出させ、倶楽部会員から成る建築委員会でそれを選考して最終的な設計担当者を決めるという、コンペに近い方法がとられた。その結果、片岡事務所の案が採用された。設計を担当したのは入所2年目の安井武雄であり、完成時には安井の作品として発表される。その意匠は「南欧風ノ様式ニ東洋風ノ手法ヲ加味セルモノ」と説明されているように、古代ローマの集合住宅インスラを連想させる骨格に、奔放に変形された東洋的な細部装飾がちりばめられる。様式規範を拒否しつづけた安井武雄の初期の代表作。