建築なんでも相談

建築から学ぶこと

2026/02/25

No. 1005

堺ははじまりの地

堺のまちを初めてゆっくり歩いてみると、堀割によって穏やかに、しかししっかりと包まれている感じがする。古地図では堺は港に接した環濠都市であり、同じ交易都市の歴史を持つベネツィアやアムステルダムのような密度もある。今は東側の掘割などは埋め立てられてしまっても、街のウチ・ソトの空気には違いがある。北に位置する大阪・船場も同じような都市形態だったはずだが、堺には城のような権威がない。それがのびやかさを形成し、自立を導いているのだろうか。この街に育った歌人・与謝野晶子は「住の江や和泉の街の七まちの鍛冶の音聞く菜の花の路」と街の活気とやわらかな表情を金属音と菜の花色を組み合わせて語り、「海こひし潮の遠鳴りかぞえつつ少女となりし父母の家」の言葉で、この街のすぐ先にある、心を外へ誘い出す海の存在を伝える。
かつて、この街に現在もある大小路という東西の道が摂津国と和泉国の「境」だったが、1700年ごろに、それまで淀川目指して北上していた大和川が街のすぐ北側に東西にショートカットされて以降、大和川が境になった。実は新・大和川が運ぶ砂で堺の港湾機能は低下したという。いずれにしてもここから南は和泉の国。現在では川が企業の大阪南北支社の境界だったりするのは、ここから先はビジネスの気風も人のネットワークも変わるからだろうか。
さて、堺の中心街は戦時中に建物疎開で道路を広げて景観が損なわれた後、軍需産業をターゲットにした空襲で灰燼に帰し、広い道路が残された。戦後の1956年、その中の東西の通りに今年75周年を迎えた堺ロータリークラブが苗木植樹200本余を提供し、時を経て現在の堺の景観を形成する緑豊かなフェニックス通りが整った。ここにある街の心意気とプライドこそ、堺に根差す魂と言えるだろう。

佐野吉彦

堺の水辺に春来る

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