1986年10月、東京初のコンサート専用ホールとして誕生したサントリーホール。世界一美しい響きのコンサートホールをつくることを目標に掲げて進められたプロジェクトは、ホール建設のアドバイザーとして協力を仰いだ故ヘルベルト・フォン・カラヤンの〝音楽は、演奏家と聴衆が一体となってつくり、ともに喜び、楽しむもの〟という助言を受けて、日本初のワインヤード型を採用。舞台を客席が取り囲む、これまで日本になかったホールの設計は、音の反響に影響する天井や壁のかたち・材質・角度から、吸音率に関わる椅子の布地やカーペットの選択まで、美しい響きのために、山積する課題を一つひとつ紐解くように設計が進められたという。
着工後も大型模型で音響テストを重ねるなど、妥協のない取り組みによって完成したホールは、その響きのよさとスタッフのホスピタリティによって時を置かずに評判を呼び、海外の名だたるオーケストラや演奏家たちがこのホールで演奏したいと口にしているように、高い評価を得ている。
その維持・管理のため、定期的に改修を行ってきた同ホールは2017年、7ヵ月間に及ぶ大改修工事を敢行、9月1日にリニューアルオープンした。計画当初から設計に関わり、ホールとともに歩んできた木村佐近は、
「最初のコンセプトを30年間継承しつつ、時代の要請に対応し続けてきたホールは、日本の音楽文化の揺籃になっていると思います」と話す。
大・小ふたつのホールで年間約600の公演が開催され、約60万人が来場しているサントリーホール。その環境を維持し、不具合にも速やかに対応するため、設計者は関係者と協議しながら5年ごとに改修計画を策定している。急速に普及した携帯電話対策として導入した発着信防止装置、コンピュータの性能向上に伴う舞台の吊物設備などのCPUの入れ替え、音響設備の更新、耐震対策、そしてバリアフリー化……。安定・成熟期を迎えたホールの改修で何より優先されるのは〝世界一美しい響き〟を維持することだと木村はいう。
「改修においてもっとも重要なことは、響きを変えないことです。評価を得ている美しい響きと、アイコンにもなっている正面のオルガンに象徴されるホールの意匠。このふたつを変えることなく、時代や社会の要請に応じてホール機能を改良するため、ホールのスタッフや音響設計者をはじめ、関係する方々と定期的に議論し、情報を共有しています」
竣工から15年経つ頃から目につき始めた経年劣化への対応として、15年次の改修では、大ホールの舞台床面の全面張替えを、また、5ヵ月間に及ぶ長期休館をとって実施した20年次の改修時には、ホール内に総足場を組んで天井を塗り直したほか、定期的な椅子の布地の張替えを行ったが、その際、思わぬ課題に直面したと木村はいう。
「大ホールの椅子の布地は、100年前の柄をモチーフにウィーンのバックハウゼン社が織ったものを輸入していますが、このときなかなか同じものが織り上がらなかったんです。実は織り機が変わっていたためだったのですが、こうしたことひとつ取っても、ホールの意匠に関わる技術を残し、継承することは容易ではないと実感しました」
そして2016年に30周年を迎えたホールは〝伝統の継承〟〝ダイバーシティデザイン〟〝設備のさらなる充実〟という3つのコンセプトで大改修を実施。今回、技術面で大きな挑戦となった舞台・客席照明のLED化について、15年次の改修から電気・設備に関わる伊藤圭一はこう話す。
「従来光源は熱を持つため、舞台上の奏者の方々には暑い上、消費電力も大きいという欠点があります。東日本大震災後にはホールから、省エネ対策としてLED化の検討を要請されましたが、その時点では導入を見送りました。当時のLEDでは温かみのある赤い色を再現できなかったことが、その理由です。ホールにとって、色はとても重要です。従来光源からLEDへの切り替えの分水嶺は2年ほど前で、30年次の改修に向けた設計段階でも、色味とチューニングはまだ私たちの要望に達していませんでしたが、技術が開発されると信じて導入を決断しました。実際、改修工事が始まった直後、メーカーが調光率に応じて色味が赤くなる技術を開発し、LEDも従来光源同様の色と操作が可能になりました。技術は日進月歩しているので、導入に当たってはタイミングを計ることが肝心です」
人々が期待感とともに足を運び、オーケストラや他の聴衆とひとときを過ごすコンサートホール。文化施設の中でもとりわけ非日常性の強い空間づくりに関わることは、設計者にとってどのような経験なのだろうか。
「文化施設といっても、美術館、博物館は論理的な思考で設計を進めるのに対して、ホールの設計はかなり右脳を使っている気がします。音も色も、数字の目安があるとはいえ、最終的に〝これでいける〟と判断するときは、感覚的な要素が強く働いているというか……。視覚や聴覚だけでなく、五感をトータルに使って設計している感じがします」(木村)
「演奏者と聴衆が一緒に空間と時間をつくり上げ、親密さを共有している音楽ホールは、とてもパブリックな場だと思います。美術館や博物館の場合、鑑賞者は主役である作品と個対個の関係を持ちますが、全員で同じ体験を共有する音楽ホールは団体戦という感じでしょうか」(伊藤)
都内最大かつ最初の市街地再開発事業となった、赤坂六本木再開発地区でサントリーホールの建築が計画された35年前、当時の安井建築設計事務所の社長、故佐野正一がどんな思いでいたか、木村はこう振り返る。
「佐野はよく〝上等なものをこしらえなはれ〟と、いっていました。その頃、建設されていたホールは、まだエントランスのつくりがオフィスビルと変わらないものが多かったのですが、〝(コンサートホールは)エントランスに入った瞬間から別世界なのだから、そういうつくりでなければ〟と、亡くなる直前まで口にしていて、私もそれに応じようと、スケッチを描いていました。今でもホールに来ると、佐野と佐治敬三さんの気配を感じるくらい、サントリーホールに向けた彼らの思いは強いものでした」
2006年には、ニューヨークのカーネギーホールやウィーン・フィルの本拠地であるウィーン楽友協会という世界的なホールと提携を結んだように、開館から30年で、100年を越える歴史を持つ海外のクラシックホールと肩を並べている。人気と評価、そして関わる人たちのホールへの熱い思いが見事に一致したサントリーホールは、音と雰囲気を維持するべく、時代の波とともに、変わらないために変わり続けている。