変化と成長を促し、働き方を創造するオフィス

美土代クリエイティブ特区

まちにどうひらくか、自分たちがどう働くかに焦点を当てた提案で、
社内コンペ全20案から選ばれた「美土代クリエイティブ特区」

1924年、大阪倶楽部の竣工を機に、安井武雄が自身の設計事務所を設立して一世紀。創業100周年を迎えた今年、安井建築設計事務所の東京事務所は、千代田区平河町から同区の神田美土代町へ移転した。
移転先として選んだのは、築約60年のオフィスビル。リノベーションに当たって実施した社内コンペには、個人から10名以上のチームまで62名が参加、応募数は20案にのぼった。社外の関係者も加わり、2022年9月に行なわれた審査会の様子は、全社に配信・公開されている。
この社内コンペで最優秀案に選ばれ、新東京事務所の設計を担当したのが杉木勇太、松原 輝、小林寧々の3名によるチームだ。「自由・自主・自治・自立・自律」をキーワードに自らの働き方と、今後、設計事務所としてまちとどう関わっていくかに焦点を当て、新オフィスの1階に「美土代クリエイティブ特区」(以下、特区)を設けるという提案について、
「コンペはこれからのオフィスの在り方や働き方について、自分たちの考えを会社に伝えるよい機会だと思ったので、まずはやりたいことを明確にしていこう、と。アイディアを出し合う中で、今回はオフィスを〝どうかたちづくるか〟より、前提となるマインドをしっかり伝えることが大切だと感じたので、最終的にはどのように働きたいか、自分たちがそこにいたいと思う空間を提案しようと意見がまとまりました」と杉木と松原は話す。

グランドレベルでまちや地域と接することは、設計事務所として
社会にアプローチしていくために必要不可欠だった

東京事務所の移転計画は、社員の増加に伴い、複数のビルとフロアに人が分散し、コミュニケーションがとりづらくなっていた職場環境を改善することが出発点になっている。だが、建築という環境負荷の小さくない産業に関わる設計事務所にとって、移転を巡る選択はこれから自分たちが社会とどう向き合っていくか、自らの姿勢を周囲に示す指標にもなる。人間活動の環境への影響をさまざまな角度から考え、辿り着いたのが、大規模な工事を回避し、既存のビルをリノベーションするという選択だった。
今回、東京事務所の移転を牽引した副社長の村松弘治は、神田という土地や、築約60年のビルの一~三階を選んだことについてこう話す。
「設計事務所にとって、社会とどう向き合うかはとても大事なことです。
本来、設計事務所は(外から声がかかるのを)待つのではなく、自ら社会にアプローチするべきなのに、これまで私たちはこのことがなかなかできませんでした。オフィスがグランドレベルで地域と接することは、まちと接点を持つうえで、必要不可欠なことといえるでしょう。今回のコンペではこれからの働き方、そして一階の使い方を提案したチームの案が、社内外の審査員だけでなく、事前の社内投票でも評価されました。このことからも、まちにひらくことの重要さを端的に示すことができたと思います」
1階をどうまちにひらき、地域とどうつながるか。これからどのように働くか。この2点にフォーカスした案で採用されたものの、コンペでは1階のみを提案していたチームは、2階、3階のオフィス空間を考えるに当たって、まずは他のすべての提案書を読み込むことから始めたという。
「固定席ではなくフリーアドレスを導入する。1階にギャラリーを設ける。まちの人たちを(1階に)呼び込む……。私たちと方向性が近い案もいろいろあったので、一つひとつ参考にしながら、自主・自立という特区の根本的な考え方を、2、3階のオフィス空間にも適用する方向で設計を進めました。ただ、自主的な働き方を促すオフィスというものを、どのようなレイアウトや空間に落とし込むのがよいかについては、かなり検討を重ねました」と小林はいう。

自らコミットして、働きやすい環境をつくることを会社の文化に
余白を残すことで変化や成長を促す、未完成のオフィスの在り方

移転先が築約60年の建築であること、そのリノベーションを自分たちが手掛けることについて、若い設計者はどう感じていたのだろうか。
「正直、60年という数字はそれほど意識しませんでした。ただ、この地域の歴史を背負って生き残ってきた、神田という下町にあるビルに移ることは、1階をどう使うかと併せて面白いと思いましたね」(杉木)
「60年前と聞いて頭に浮かんだのは東京オリンピックで、古くて歴史のある建物の改修設計に携われることにワクワクしました。1階のスペースも、地域の人と関わる機会が減っている中で、一個人としてまちに携わりながら過ごせる場があったら、どうつくるかという視点で考えました。平河町ミュージックスを開催するなど、安井はまちへの意識の高い設計事務所です。ただ、今までのイベントは全社員が参加するわけではなかったので、特区は社員が自由にまちとつながる場になればと思っています」(小林)
階高の低さなど、古い建物特有の制約がある中、リノベーションに当たっては、隠されていたものを外に見せていくことを方針とした。
「60年前の建物は現しにすることで価値が伝わると思ったので、本当はもっと剥がしたかったのですが、壁を剥がせば床や天井にも影響します。その始末もあるので、コストとのバランスを考えました」(杉木)
会社を訪れた人がまず気づくのは、オフィスの開放的なつくりだろう。各階を吹き抜けや中階段でつなぎ、三層をひと続きにしたワンオフィスは、会議室もガラス張りにするなど、どこにいても人の姿が目に入る。
「会議室の数は充分か、音環境に問題はないかといった懸念の声もありましたが、とにかく壁はできるだけつくらない、仕切りを設けるにしてもガラスやビニールカーテンにすることを、意図的に進めました」(杉木)
見える化の推進は、社員自らが働く場を運営することにつながっている。
「密室で会議していると、何となく結論が出た気になるのですが、実際、結論などなかったりするんです。囲ったところでよいことは何もないので、それならオープンにすればいいと思っていました」(村松)
この考えの延長線上にあるといえるだろう。フラットに話ができる環境を優先した新オフィスには、社長室も、役員室も設けていない。
人の姿が自然に視界に入ることで、コミュニケーションも円滑になる。そんなオフィスに移って9ヵ月余り。移転後の変化について松原は、
「社内の他部署でどんな仕事が行なわれ、誰がどんなプロジェクトに関わっているかが見えやすくなりました。話が聞こえてくるので様子がわかるようになりましたし、違う世代の人とも交流しやすくなっています」と話す。
誰かが決めるのではなく、自らコミットすることで働きやすい環境をつくる――それが会社の文化になっていくことを目指した新オフィスはWELL認証のゴールドも取得している。余白を残した未完成のオフィスは、働く人のマインドによって、変化と成長を続けるだろう。

設計担当者

取締役副社長執行役員 村松弘治

東京事務所設計部 主事 杉木勇太

東京事務所プロジェクト・マネジメント部 主事 松原輝

東京事務所設計部 小林寧々

設計担当者の肩書は、2024年12月の発行時のものです

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