再生する建物

旧千代田生命本社ビル 目黒区総合庁舎への改修

建物を通じて、設計者が何を、どう伝えようとしていたのか
その意図を読み取ることから始まる、改修計画の設計

改修計画の設計は、新築以上に克服すべき難題が多い。これは設計者にとって、ほぼ共通の認識であるという。
では、改修の設計はどうして難しいのか。それは、目に見える表層的な部分を撤去しないことには、肝心の建物の構造がどうなっているか、わからないからである。もちろん、元の設計のコンセプトやデザイン性を考慮しなくてよいのであれば、その苦労は半減する。だが、現存する建物の持ち味や雰囲気を生かすことを前提としている場合、元の設計者が何を考え、どんなことを伝えようとしていたかを把握せずに改修作業を進めれば、まるで場違いな建物が出来上がってしまうことにもなりかねない。
高度経済成長期と現在では、社会背景や経済状況も様変わりしているように、建築には、時代や社会の空気がさまざまなかたちで反映される。建物が竣工した当時と現在の、資材、技術力、そして職人気質の違いを理解し、その設計意図を丁寧に読み取っていくこと。改修物件の設計には、いわば〝建物との対話〟というべき行為が必要不可欠なのである。
建築は社会の中でどのような役割を担い、また求められているのか。そのことを考えるうえで格好のプロジェクトが、旧千代田生命本社ビルから目黒区総合庁舎へのコンバージョンである。

特定の人間だけが利用するプライベート空間から、
より社会貢献の大きいパブリック空間へ

生命保険会社の経営破たんが続いていた中で、準大手の千代田生命が倒産したのは2000年のこと。このとき資産売却の目玉となった本社ビルと土地を購入したのが、庁舎の狭隘化と老朽化が問題となっていた目黒区だった。こうした経緯を経て、2003年に目黒区総合庁舎として生まれ変わった同ビルが竣工したのは今から約40年前の1966年。アルキャスト(アルミ鋳物)でビル全体を覆った日本初のファサードが話題を呼び、めぐろ風景55に選出されたこの建物は、建築家・村野藤吾の代表作としても知られている。
「竣工当時、この周辺は大きな建物がほとんどない住宅街だったので、スケールが違う建物が違和感を与えないように軽やかなデザインにしたのだと思いますが、中目黒駅のホームから見えたあの繊細なファサードは非常に印象的でした」と話すのは、同プロジェクトを担当した岩坂周一だ。
駒沢通りのゆるやかな坂を上がって行くと、まず視界に入る繊細なファサード。トップライトと低い窓から入る柔らかな光が、美術館や博物館のような印象を与える南口のエントランスホール。そしてその先に続く、見事な曲線のらせん階段……。大きさの対比やデザインによってつくられた空間の流れ、その構成の仕方こそが村野氏独自のものだと、岩坂は解釈したという。
村野藤吾の設計意図を継承しながら、民間企業の本社ビルというプライベートな空間を、公共建築というより開かれた空間へと変更する。コンバージョンの主旨は明確であり、目黒区側とも大きな齟齬はなかったものの、今回、改修に当たって最大の難点となったのは時間の制約だった。
「役所を一定期間閉庁できるのは年末年始だけなので、この時期を逃すと、移転が一年先になってしまう。それを避けるために、改修工事期間は実質半年もないというタイトなスケジュールの中で、乾く時間を待たなければならないモルタル工法などは避けながら、丁寧な仕事ができる工法や材料を検討しました」
設計内容については、比較的組織変更が多いことを配慮して、変更に対応しやすい方法を採用。一昔前の、昭和の事務所ビルといった様相を呈していた建物は、二重床のOAフロア、システム天井など、IT化に対応したオフィス空間へと再生した。また、雨水や湧水を洗浄水にリサイクルしているほか、耐震補強のために張り替えた3階エントランスホールの大理石を2階大会議室前の壁に使うなど、資源の再利用もできる限り行った。
「改修計画の設計を担当すると、その建物が竣工した当時と今との技術力の違いがよくわかるし、技術や職人気質の歴史を辿るという面白さもあります。自分の意思だけで設計していると知らず知らず視野が狭くなっていくので、視野を広げるためにも、設計者は改修を経験するべきだと思いますね」
改修計画には、一般解が存在しない。設計者は、個々の計画の状態や周囲の環境、建築主の要望に応じて最善を尽くす。さまざまな制約の中で目の前の建物と向き合い、考えること。それが設計者の技術力につながっていくのだろう。

スクラップ・アンド・ビルドからコンバージョンへ
建築と環境負荷の問題からも期待される取り組み

日本を代表する建築家の建物が、コンバージョンという形で生き延びた背景にはさまざまな要素が重なっているが、そのひとつと考えられる旧千代田生命の社風について、岩坂はこう話す。
「本来、民間企業の社屋は区民が立ち入ることのない場所ですが、同社は社内の茶室や和室を一般に貸し出していたほか、敷地内のオープンスペースを盆踊り会場として開放するなど竣工以来、地域とかかわりを持っていました。このように地域社会に溶け込んでいた建物が取り壊されることで、その歴史が断絶されてよいものなのか。同社の目黒区総合庁舎への改修は、建築が社会に対して担っている役割や貢献を考えるうえで、象徴的なプロジェクトだったと思います」
村野・森設計事務所を受け継いだ村野藤吾のご子息、故・村野漾氏も、第二の人生を歩み始めた建物について、
「建物は使われてこそ生きるもの。だから、大勢の人が利用する庁舎への転用はとてもよいことだと思う」と、目黒区総合庁舎の開庁時に語っている。
駅舎から美術館へと再生されたパリのオルセー美術館。火力発電所の建物が美術館に変わったロンドンのテート・モダン。建築物が石でつくられているヨーロッパでは建物の寿命も長く、昔から建築のコンバージョンは行われていた。建築における環境負荷の問題が問われつつある昨今、日本でも、バブルの頃のように、経済力に任せてスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す時代ではなくなっている。コンバージョン、リノベーションといったことばが、すでに一般にも浸透していることを見れば、それは明らかだろう。
歴史的・文化的な価値を持つ建築を、現代に相応しい形で再生する。目黒区総合庁舎は、そんなコンバージョンを象徴する例といえるだろう。

設計担当者

東京事務所工事管理部 専門部長 岩坂周一

設計担当者の肩書は、2007年12月の発行時のものです

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