まちづくりへと発展した、病院づくり

あいち小児保健医療総合センター

ソフトとハードの両面からグローバル・スタンダードを追求した、
前例のない小児医療専門病院

医療・健康関連の施設が集中している「あいち健康の森公園」(愛知県大府市)。その一角に、2004年5月に開業した「あいち小児保健医療総合センター」は、日本初の本格的な小児医療専門病院である。
天井から明るい光が差し込むエントランスの吹き抜け空間、廊下を彩る壁面装飾、動植物をモチーフにしたオブジェ、そしてセンター内の各所に設けられた子どものためのプレイルーム……。背後に雑木林を控えた見晴らしのよい丘陵地に立つ同センターは、初めてここを訪れた子どもたちとその家族にとって、嬉しい驚きに満ちた場所と映ることだろう。いわゆる病院らしさとは対極にある、明るく開放的な空間には、病院に来ることに不安を抱いている子どもとその家族の気持ちを和らげるために、大小さまざまな仕掛けが施されている。
「計画当初、国内には参考となる施設がなかったので、前例のないものをつくるために、とにかく手探りでプロジェクトは始まりました」と話すのは、ストーリー性溢れる同センターの設計を担当した篠原佳則だ。
ソフトとハードの両面からグローバル・スタンダードを追求し、日本の小児医療病院の先駆けとなった「あいち小児保健医療総合センター」は、どのようなプロセスを経て、完成へと至ったのだろうか。

子どもの健康を真剣に考える各分野の専門家が集まり
意見交換を繰り返す中で進められた、よりよい病院づくり

小児医療の先進県といわれる愛知県が示した〝子どもやその家族が生き生きと、地域や家庭に帰っていける施設を〟という課題に〝子どもたちの丘〟というテーマを掲げたプロポーザルを出して当選した篠原は、まず小児科医と意見交換会をすることからプロジェクトの準備を開始した。
「すでに小児医療が十分に発達している日本で、今後、どのような分野に力を入れていくか。たとえばアレルギーや心の病などを扱うには今までとは違う考え方が必要なはずなのに、診療環境をどう整えていくかについて、誰も具体的なイメージを持っていない。その一方、子どもの健康に関心を持つ専門家が多く存在することもわかっていたので、関係者の意識共有を図るために、子どもの健康に関する展示会を企画したんです」
展示会では、子どもの遊び環境や子どもの見える街づくりのあり方、また、海外の子ども病院の事例を紹介するなど、それぞれが自身の専門分野から〝子どもの健康〟をテーマにした研究を、パネル展示というかたちで発表。この企画は関係者のあいだで注目を集め、小児科医たちからもプログラムの継続を望む声が上がったという。
「この展示会の最大の収穫は、それぞれの参加者が、自分たち以外にもさまざまな分野で子どものことを真剣に考えている人間がいると気づいたことだったのではないかと思います」
展示会を機に集まった小児科の医師や研究者たちは、看護師や療養師、保育士らにも呼びかけ、意見交換会は「子どもの療養環境研究会」という名の研究・勉強会へと発展。月1回の研究会は6年余り続いた。毎回、司会・進行役を務めた篠原は、同研究会についてこう振り返る。
「医師、看護師、保育士、大学教授、チャイルド・ライフ・スペシャリスト 、雑木林の専門家に子どもの遊び環境の研究者……当時、子どもの療養環境研究会には全国から人が集まっていました。それはこの研究会が、子どもの健康について最先端の情報を持っていたからだと思います」
子どもたちのために、どのような環境が用意されればよいか。研究会を重ね、関係者のあいだで少しずつ意識共有がなされていく中で、子どもに威圧感や不安を与えない小児センターの空間づくりは具体化していった。
「エントランスを吹き抜けにしたのは、まず何よりも入りやすさ、そして包み込む感じがほしかったからです。広場としても活用できる明るい吹き抜け空間があれば、病棟から廊下に出るだけで、下でやっているイベントを見ることもできます。もうひとつ重要だったのは廊下でした。長くて、白い廊下には威圧感があるので、子どもの不安を解消するためにはアートワークが必要だろうと。実際、病棟の各部屋に色を塗り、入り口に屋根をつけると途端に明るい表情になって、子どもも家族も病室の外に出てくるようになりました」
また、センター内には動くオブジェやシースルー・エレベーターが設置されているが、これは子どもの関心を引くための手段として、スウェーデンやアメリカなど小児医療先進国で基本とされる方法であるという。
病院らしくない空間にするための工夫と試み。それが奥の雑木林への入り口と位置づけた吹き抜けのあるエントランスであり、街並みを連想させる大通りであり、センター内の各所に「プレイコーナー」というかたちで設置された、子どもが生き生きと過ごすための遊び場づくりだった。
「いきなりこうした提案をしても、同意を得るのは難しかったかもしれませんが、月に一度、顔を合わせて勉強や研究の成果を発表するというプロセスを経たことで信頼関係ができていましたから、先生方も理解してくれたのでしょう。価値観や意識を共有していたからこそ、前例のない中で、さまざまな決断をすることができたのだと思います」

培ったノウハウとネットワークを活用して
病院づくりから、子どもが暮らしやすいまちづくりへ

県にプロポーザルを出した九三年から、全面開業する2004年まで十年余りという歳月を経たことについて、篠原は、
「本当にきちんとしたものをつくるために勉強や準備をしていると、10年くらいかかるんだな、というのが実感ですね」と話す。
ただ単に遊び場やおもちゃを用意して、見た目だけそれらしくしても、それらをしっかり使いこなすことができなければ意味はない。「大切なのは人材を育成することです」と語るように、篠原は建物というハードをよりよく生かすために、ソフトの充実にも力を注いできた。
「隣接する雑木林では、市民グループがワークショップを主催するなど、病院づくりの基幹となったイベントや研究会のいくつかはNPOとなって活動を続けています。家の周囲に子どもが育ちやすく、遊びやすい環境をつくっていくためにも、人びとのネットワークや開業まで10年がかりで培ってきたノウハウは、今後もどんどん活用していきたいですね」
開業以来、各地から視察や見学が後を絶たないように、日本の小児医療病院の先駆けとなった「あいち小児保健医療総合センター」。病院づくりの過程で培われたノウハウと人脈は今、まちづくりにも活かされ始めている。

設計担当者

名古屋事務所設計部 設計主幹 篠原佳則

設計担当者の肩書は、2008年12月の発行時のものです

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