建築から学ぶこと

2025/06/25

No. 972

賢明に見定めるために ― 『スロー・ルッキング』

普段何気なく見ている風景、あるいは初めて出会う絵画を、時間をかけて眺めることからどのような成果が得られるか。『スロー・ルッキング』の著者シャリー・ティシュマンによれば、丁寧な観察の時間を経過することで、知識や情報を確実にすくいあげることができる。ここで提唱しているものは、個人の気分転換でもスピリチュアルとは異なる、技法の問題である。また、ファスト・ルッキングの効果を否定するものでもない。
スロー・ルッキングは、じつは長い歴史の中で教育や科学追究の基底部分として育ってきた、社会をかたちづくる大切な方法である。この本はそれについて例を引きながら紐解いてみせる。また、今日の私たちが実践する技法としては、著者は「カテゴリー」(対象の、ある類型に目を向ける行為)と「オープン・インベントリーの作成」(広く網をかけてさまざまな観察をする行為)の両面を挙げる。特に教育においては、あるカテゴリー、つまり特定の視点から概要をつかむ「杖」は有効であるが、ずっと頼り切るべきではなく、並行して眼前にある世界の複雑さと冷静に向き合うべき、とする。
そのようにしてスロー・ルッキングは「世界を認識するさいに自分の主観が果たす役割を理解し、他者の視点の全体を尊重することにも役立つ」ものと著者は最後に述べる。翻訳者のひとり、ムササビの生態を研究する北垣憲仁氏(動物学)は、<ムササビの観察とは、それが暮らす森の背後に現代社会につながる大きなものを「みる」、直感することに結びつく>と解説を加えているが、目指すのは観察の中に生まれる立体的な理解である。
そこに至って、鷲田清一氏の近刊エッセイ『「透明」になんかされるものか』にある、「第三者のように話すというのは、傍観者になることではない。じぶんのなかにもう一つ、別の眼を持つということだ。」とのくだりを想起した。この時代にあっては、私たちは冷静さを通じて世界の成り立ちと成りゆきを見つめるべきだろう。

佐野吉彦

賢者の2冊。

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