東海地区の行政・経済・文化の中枢・名古屋から南に約30キロ、知多半島の中央に位置する愛知県知多郡阿久比町。名古屋の中心部まで電車で約30分という交通の便のよさから住宅開発が進められた同町は、多くの自治体が人口減少という課題に直面する中、世帯数増加率県内1位、人口増加率同2位という数字が示すように成長を続けている町だ。沿線沿いに広がるのどかな田園地帯や町中を流れる阿久比川周辺には、ホタルが生息する――そんな豊かな自然環境の残る阿久比町は、中学校卒業まで子どもの医療費を無料にするなど、町を挙げて子育て世代を応援している。
2017年3月に竣工した阿久比町庁舎は庁舎、多目的ホール、食堂、そして既存の中央公民館の4つの建物からなる複合型庁舎である。敷地の中央に配した「みんなの広場」を囲む建物を、半屋外の軒下空間「縁側モール」で緩やかにつないだ新庁舎は、竣工後、さまざまな催しが行われる町民の交流の場となっている。設計を担当した益田正博と川井茂輝は、
「既存の中央公民館も一連の施設ととらえ、性格の異なる建物を縁側モールでつないで一体感を出すことは、当初からの提案でした。昨今の庁舎は経済的な理由などから、なかなか提案通りには建設が進まない中で、基本計画からほぼ変更なく庁舎が完成したのは、町長や役場の方と、新庁舎の役割や目指すところを共有できていたからでしょう」と話す。
阿久比駅からほど近い、町の中心に建つ複合型庁舎は、緩やかな丘陵地という地形を活かしつつ、施設を配置している。みんなの広場に面した場所を、明るい吹き抜け空間にしたことで視認性を高めた建物群は開放的な雰囲気に溢れ、来庁者に安心感を与えている。
「災害時には対策本部の機能を庁舎に集約する、多目的ホールを一次避難場所にする、食堂を炊き出しの場として開放する、みんなの広場を防災広場とするなど、建物の配置、その役割や意味合いは当初からほとんど変わっていません。ありがたいことに今回は、われわれが提案したコンセプトに対して町から共感をいただけたので、その期待に応えるためにも、みなさんが納得できるものをつくりたいと思いました」(川井)
町と人をつなぎ、町民の交流や活動を促す。そんな新庁舎のコンセプトを象徴するみんなの広場と、フリーハンドのスケッチから生まれ、阿久比川をなぞらえて設計したという縁側モールはいずれも曲線で、そのやわらかなラインは、庁舎全体のイメージをつくっている。
「縁側モールを直線にしていたら、印象がだいぶ違ったかもしれません。ただ、なだらかな高低差がある丘陵地は緑も多いので、かっちりとした線でまとめるのはどうかなという気がして。屋根など目につくところも背景に馴染むようにと考えて、やわらかいラインにしています」
縁側モールの上部はテラスになっているが、大勢が利用するには相応の耐震性能が求められる。このため川井は構造設計の担当と協議を重ねたという。
「軒には天窓を設けていますが、これは自然光を取り込むだけでなく、デッキに使うコンクリートの量を減らす目的がありました。意匠設計としてはむやみに開口部を設けるのはどうかと思うものの、デッキの重量を減らさなければ、柱を太くする、本数を増やすなどの対策が必要になり、モールが歩きにくくなってしまいます。荷重を減らして強度を保ち、かつ見た目の収まりをよくするため、構造担当からもいろいろ前向きな提案をもらいました」
設計が進む中、直面したのが費用の問題だった。設計中はつねにコスト管理を意識しているものの、東日本大震災後の資材や人件費の高騰を受けて、建設費は当初の予算に納まらなくなっていたという。だが、こうした諸事情を踏まえた上で、町は新庁舎建設のため、補正予算を計上している。
「普通、予算を上げるとなれば、議会からもいろいろ指摘が入ります。ただ、震災の影響が建設市場に及んでいるとはいえ、新庁舎に求められる機能や役割は変わるものではありません。まずその点をお伝えし、コストアップの理由について資料を揃えてていねいに説明すると、みなさん理解してくださって、承認が得られました。これは町とわれわれが思い描く庁舎の理想像にぶれがなかったからでしょう。多目的ホールの使い方や、庁舎の執務室のレイアウトなど、町とは時間をかけて検討を重ねてきました。そのプロセスを経て、想いを共有できたと実感しています」
余分な仮設建物をつくらず、現地建て替えした阿久比町庁舎。役場の機能を維持するとともに、町民の安全と利便性に配慮しつつ、既存の建物を解体し、段階的な建設工事を経て、新庁舎は2017年3月に全面的に完成した。老朽化、分散化した庁舎の機能を新たに再編する。町民を守るため、災害対策拠点として耐震性を確保し、インフラを整備する。省エネルギー・省資源化を目指し、自然エネルギーを導入する。こうしたハード面の刷新だけでなく、新庁舎は施設の随所に配慮が施されている。
雨の心配のない軒下の縁側モールで開催されるアグルマーケット、野外コンサートやクッキングスクール、盆踊りなどが行われるみんなの広場、昼時に開かれる庁舎1階でのロビーコンサート……。関係者の予想を超えて利用されているそれぞれの場は、効率を最優先していたら現状のようにはならなかったかもしれないバッファ・ゾーンという自由な空間を、人々が無意識の裡に求めていることを示唆している。
住民の拠りどころという役場の本来あるべき姿、その原点に立ち返り、町民のための場づくりを行った阿久比町。人口減少や超高齢化が進み、社会情勢が変わりつつある昨今、公共施設としての役場はどうあるべきか。1959年の建設から半世紀余りを経ていた庁舎の建て替えという、町にとっての一大事業に設計者として関与した川井は次のように話す。
「知多半島は、市町村が混在している地域です。今後の合併の可能性を視野に入れてのことなのでしょうが、基本設計の段階で、庁舎はほかの用途にも利用できるようにしておきたいということばを聞いたときは、ハッとさせられました。先を見越しているからこそ、将来の変化に柔軟に対応できる建物をつくってほしいという町の明確なビジョンに感心しましたし、あらためて、その姿勢に合わせて設計に取り組もうと思いました」
子ども連れの来庁者が広場で遊び、縁側テラスで食事をする。イベントの有無に関わらず、気軽に立ち寄れる場のある庁舎は、複合型庁舎のユニークな事例として、全国の地方自治体から多くの視察を受け入れている。