岩間 浩二

国際部

理工学研究科建築学専攻

外国企業のプロジェクトとUIA2011を機に 

入社後、どのような仕事を担当してきましたか? 

3ヵ月間の大阪研修後1年間、大阪事務所設計部に配属されました。都市デザイン部で2年間都市計画を学び、その後東京事務所設計部に11年間所属しました。そのうち3年間は業務提携している不動産ディベロッパーに出向し、大型テナントビル内のレストラン街や賃貸レジデンスの設計を担当しました。出向から戻り、駅など公共建築の設計に関わった後、2009年に企画部に移り、2012年から国際部を兼務しています。 

国際部の仕事はどのように始まったのでしょうか? 

その少し前に、つくばエクスプレス流山おおたかの森駅の駅舎を設計したのですが、同じ千葉県流山市でドイツ企業のプロジェクトを担当したのを機に、海外の仕事をするようになりました。打ち合わせもプレゼンも英語だったので、辞書やインターネットを使って資料を作成し、苦労しながら仕事をしたのが2008年頃。その後、世界建築会議東京大会(UIA2011)を手伝うなど、海外の人と交流する機会が増えていきました。

つくばエクスプレス以降も駅関係の設計が多く、駅と海外というつながりから、東欧の空港ターミナル駅の基本設計をまとめました。

生活文化の違いが、設計の苦労であると同時におもしろさ 

最近の仕事について教えてください 

東欧の仕事が終わる頃、インドネシアの在来線の駅舎及び関連施設のコンストラクションマネジメント業務の担当になりました。プロジェクトのスタート時の出張は月に一度、一週間程度で、基本は日本で業務を進めていました。その後、常駐での業務対応を要望され、2017年3月まで外部スタッフを3名コーディネートし、社内でも構造や設備担当者らの協力を得てプロジェクトを動かし、後半は僕自身、7割方ジャカルタに滞在しました。

このプロジェクトの経験から、英語でのコミュニケーションに慣れ、少しずつ自信を持つことができましたね。

国内と海外の仕事で、何か違いを感じることはありますか? 

海外の建築主がネットワークを駆使し、情報収集しているのは日本というブランド、日本風のデザインや最先端の技術ノウハウで、日本で設計する際に建築主の要望を形にすることと大差はありません。

明確なのは、文化と宗教に基づく生活習慣の違いです。ある国では裸で他者とお風呂に入る習慣はなく、温泉でも水着を着るとか、また別のある国では食事を手で食べるとか。こうした生活文化の違いは、設計をするうえで苦労する点であると同時におもしろさでもあります。

建築法規、基準については細かい違いはありますが、大きな違いは感じません。まずは与条件から整えていきます。

実地でのいろいろな経験から引き出しやボキャブラリーが増えた 

仕事のおもしろさ、やりがいはどんなときに感じますか? 

海外での仕事は日本ほどカテゴライズされていないので、いろいろ経験できることに加え、生活・文化が違う人々とコミュニケーションしながらものをつくり上げていくことが何よりの楽しさです。

僕は大学の頃から公共建築の設計をやりたいと思っていました。ある駅の設計をしたときは、その駅の利用者が建築主と考えて、仕事先や学校と、自分の家(生活)とを切り替える分岐点としてモチベーションを高める、あるいは帰ってきてホッとできる気持ちになるデザインを目指しました。

部署の移籍や出向が多かったので、設計を極める気持ちの強かった20~30代の頃は周囲に遅れを取らないかと、不安もありました。でも、実地での経験が、自分の引き出しを増やしたと今は思います。

何度も転職したような感じですが、行く先々でたくさんの方々と交流し、刺激を受け、支えられたおかげで、どんな問題も解決しようと前向きになれたのでしょう。

入社希望者へのメッセージを 

高校まで野球ばかりしていた僕は、建築学科に進学後、ようや設計がどういう仕事かを知りました。もともとものづくりは好きで、大学の授業を通じて、建築のおもしろさに惹かれていきました。

組織の中で100%自分の希望を叶えるのは難しいことですが、好奇心を持ってチャレンジすれば、自分の方向性を見つけられる会社だと思います。

2017.7

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