安井建築設計事務所
安井建築設計事務所
安井武雄は大阪倶楽部(1924)の竣工を機に、大阪市西区靭南通に自らの設計事務所「安井武雄建築事務所」を開設する。所員は7名であった。
東京市麹町区八重洲町に東京事務所を開設する。
東京進出の拠点となる日本橋野村ビルが竣工、後の大阪ガスビルとともに事務所は戦前の最盛期を迎える。安井武雄は、日本建築協会での活動にも携わったほか、京都帝国大学や早稲田大学で指導するなど建築界を牽引する役目を担った。
安井武雄は住宅の設計も多く手掛けている。大阪の郊外、兵庫県の西宮市夙川にあった安井武雄の自邸は、近代建築の歩みの中で、一際強いメッセージを発するものである。阪神淡路大震災まで住宅として使われていた。この夙川から芦屋にかけては、ヴォーリズやライト、村野藤吾らによる住宅作品がいまも残る場所である。
この年竣工した京都競馬場が、安井武雄建築事務所の戦前最後の主要作品となる。
経営方式を株式会社に変更し、「株式会社安井建築設計事務所」として発足。代表取締役社長に安井武雄が就任。
佐野正一が寿屋(現サントリー)山崎工場の設計で日本建築学会賞を受賞し、以後継続的に同社各施設の設計を手掛けるようになる。
各地に新設される野村證券の店舗設計を引き受け、設計業務が急激に増大する。この年、名古屋事務所を名古屋市中区広小路道の自社設計ビルに開設する。
代表取締役社長に、安井武雄の娘婿にあたる佐野正一が就任。佐野は国鉄の建築技師としての経験を活かし、合理的アプローチとともに、地域に根ざした手堅いセンスによって作品をまとめ、新境地を切り拓いて組織を飛躍的に成長させていく。「誇りと情熱」を社是に掲げ、社会の多様な建築課題に対応できる設計組織の充実をめざして歩み始める。
この年安井建築設計事務所は創業40周年を迎える。記念事業として東京事務所社屋を東京都千代田区平河町に新築する。
大阪のシンボル・ストリート御堂筋に面して建つ大阪ガスビルの増築(北館)が竣工する。昭和初年大阪ガス会長片岡直方が計画当初意図したワンビル・ワンブロックの構想が33年の時を経て、旧ビルの格調高いイメージをそのまま受け継いで実現。有名建築の増築成功例として高い評価を受ける。
従来の社屋が狭溢になったため、大阪市東区島町に新たに社屋を建設する。同時に機構改革をおこない、本社から大阪事務所を分離独立させ、組織化を一段と進める。
九州全域の業務の拠点として、九州事務所を福岡市中央区渡辺通に開設。
安井建築設計事務所の設計で最初の超高層ビル新宿野村ビルが竣工する。特に防災面を重視したこのビルの設計で、従来「工学予測不能」とされていた火災時の煙の挙動を捉える計算手法を開発し、防災設計合理化ヘ向けて先駆的業績を挙げる。
国鉄と大阪市が長年共同でまとめた構想に沿って、駅ビル設計の蓄積の全てを投入した大阪ターミナルビル「アクティ大阪」が竣工。大阪市の正面玄関にふさわしい文化的な建築として、都市機能と駅機能の調和を目指した。
創業60周年を迎える。記念事業として、建築史家山口廣日本大学教授に執筆依頼中であった創業者安井武雄の伝記が、『自由様式への道』(著:山口廣/南洋堂出版)として上梓。先駆的建築家の業績を豊富な史実で紹介したこの図書は建築界に反響を呼び、日本建築学会賞を受賞する。
東京都港区赤坂にサントリーホールが竣工する。「世界一美しい響き」を目指し、「音楽は演奏家と聴衆が一体となって創り、共に喜び楽しむもの」という、指揮者・故ヘルベルト・フォン・カラヤンの助言により我国初のヴィンヤード型を採用した。
ローマ市音楽ホール国際コンペの9名の指名建築家に佐野正一が日本からはただ一人選ばれる。
佐野正一の長男である佐野吉彦が代表取締役社長に就任。安井武雄以降、先代のリーダーが築いてきた伝統を継承しつつ新たな時代へ向けて発進する。
品質マネジメントシステムの国際規格であるISO9001認証を取得。
佐野正一が自伝となる『建築家三代』(著:佐野正一/日刊建設工業新聞社)を刊行。大正・昭和・平成の三世代に渡り、安井武雄・佐野正一・佐野吉彦の三代における継承と発展、展望を記す。有為転変の激しい建築界で二種類の三代を持続可能にした力・功績・志が、現在の安井建築設計事務所の礎になっていく。
BIMソフトを全社導入して教育に着手。業界他社に先駆けた「安井建築設計事務所のBIM元年」となる。BIM活用による業務の効率化も視野に入れながら「専門業務型裁量労働制度」を導入し働き方の改善を目指す。
京阪電車中之島線4駅や丸の内トラストシティなど、都市中心部のインフラや人々の営みに寄与する重要な作品が完成する。人と社会と建築をつなぐ組織へ、地域にひらく「安井建築設計事務所オープンハウス」がこの年にスタートする。
佐野吉彦は第24回世界建築会議(UIA2011東京大会)の運営部会長を務め、東日本大震災から復興へのメッセージの発信、全世界が抱える様々な災害や苦難の克服に向け建築家は何をなすべきかを討議する意義深い大会となる。また、この年には大阪ステーションシティ・サウスゲートビルディングが開業。九州新幹線の鹿児島ルートでは3駅舎の設計で経験と実力を発揮。さらに、新ビジネスへの将来展望を掲げて株式会社安井ファシリティーズを設立する。
創立90周年を迎え、佐野正一からの「誇りと情熱」を受け継いだ佐野吉彦以下社員は、周年事業を通じて「人やまちを元気にする」活動に傾注することを発信する。グローバル展開を推進する新たな時代の重要な拠点として、台湾事務所を開設する。
ベトナムハノイにYASUI SEKKEI VIETNAM, LTD.を開設。海外トレーニー制度の開始など、グローバル展開を強化する。
ベトナムホーチミンに、ホーチミン事務所を開設。
佐野正一の生誕100年となるこの年。来たる100周年を記念の事業として取り組むべく、5つの活動グループを設置し、若手中心のメンバーがボトムアップで企画・立案・実行する体制を整え準備を進めていく。
佐野吉彦が、社長就任から25年の節目、事務所の歩み四半世紀を超え、建築設計監理業への功績から⻩綬褒章を受章する。
1月に東京事務所を東京都千代田区神田美土代町へ移転。4月1日に創業100周年を迎える。