建築から学ぶこと

2017/06/21

No. 578

旅のアナロジー、人生のアナロジー

私は旅行記や文化人類学のモノグラフといった本をずいぶん読んできたと思う。筆者/旅行者が異なる文化の地に滞在しながらその全体像を解きあかしてゆくプロセスと、異なる文化に触れて自らが変わってゆく(変えられる)プロセスとに、とりわけ興味が湧く。そもそも旅とはそのどちらかであるか、あるいは両方だ。出立前にはおおよその計画はあるものの、結論の見えている旅など面白くはない。おそらく途中でもくろみが変化させられるところに、文化と文化の間のきしみを感じたり、人と人の出会いがあったりするわけだ。
予め見取り図が示されている東海道五十三次とか、聖地巡礼には意義を認めるし、名所めぐりも楽しいかもしれないが、もしそれを経たあとに自分が変わっていないようなら、単なる余暇に過ぎないだろう。一方で私が、プログラムをしっかり持つべき登山やマラソンのようなスポーツに親しんできたのは、そこに頭脳による戦略以上に、肉体で対象に向きあう長い時間があることだ。そこで私に疲労をもたらしているのは、身体が接する揺るがない地形の力だろう。そのようななかで、人であろうと異文化であろうと、手ごわい存在は自らを成長させてくれる(同時に楽しませてくれる)と私は理解してきた。
ところで、詩人のアーサー・ビナードは「なにかを本気で知りたくなると、どこかで知っている人とつながる道が、不思議と切り開かれるものだ」と言う(*)。旅において出立の志は重要だが、そのきっかけを与える存在と、行く手を拡げるためのアシストはさらに重要なのだ。いま社会にそのような場はあるだろうか。駅前から書店が消え、新聞の影響力が少しずつ弱まっているさびしい現実があるなかで、それを補う役割を、ネットではなく、教室も大事だが、図書館に多くを期待したいのである。街やキャンパスにしっかりとした図書館があれば、そこから良い人材が旅立つはずだから。

 

* 「知らなかったぼくらの戦争」(小学館2017)より。著者は、戦争をくぐりぬけた23人がたどった人生に寄り添う。

佐野吉彦

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