2006/10/25
No. 55
今年開催された越後妻有(つまり)アートトリエンナーレは第3回。新潟県南部の盆地・山村の風景を相手に(舞台に、というべきか)、さまざまなコンテンポラリーアートが個性を競う。3年に1度という間隔を持つので、十分な準備期間は確保できている。毎年おなじみという著名作家もあり、腰を据えて地域の人々との共同制作に取り組む若手もいる。地域を活性化させる役割を担うこのトリエンナーレにとっては、開催期間に先立つ、こうした「出会い」と「連携」のプロセスに意味がある。アーティストの持つ「外部の視点」と、「ローカルな身体」とが、作品をつくるための共同作業でうまく融合するようすは興味深い。3回目ということは初回から7年だから、なかなかうまく継続できている。
こうした場面でのアートは、停滞する地域の活性化を促し、可能性を掘り起こす。確かに、地域の知名度は高まっただろう。とは言え、地域振興策の好例だと褒めあげるのは安直過ぎる。確認しておくべきなのは、アートを扱う場としての運営目標が定まっているのか、優れたアーティストを選ぶ意思と仕掛けがあるか、予算をどうやって確保しているのかといったところである。公が主導のケースでも自発的な運営でも、背骨がしっかり通っているかは重要であろう。それは起動力、そして継続性につながる。単発的なイベントでは、アーティストの底力は引き出せない。その結果として地域は変化しない。妻有の場合、本当の底力を発揮するのはまだこれから、と言っておこう。
今は「モノ」より「コト」の時代。アートという「モノ」に頼るのではなく、アートをめぐる「コト」のなかに可能性を見たい。理想的なプロジェクトとは、そこに起こる「出会い」と「連携」の先に、人を育てる土壌やプログラムが用意されているかどうかだと考える。そのなかで、アーティストは自分のテーマを発見し、プロジェクトリーダーは実戦の力を磨き、その結果として地域も都市も大きく舵を切るというわけだ。
取手アートプロジェクト(茨城県)は今年(11月開催)で8年目となる。これは東京芸大と取手市民、アーティストを結ぶ試み。このところの取手は運営組織にインターン制度を導入するなど、年間を通じて活動に取り組んでいる。ここには人材を育てること、それぞれが複眼的な思考を持つことが目標としてある。