2005/12/14
No. 13
キリスト教の暦では、今の時期を待降節と言う。クリスマスを迎えるまでの4週間、心静かに祈る季節である。冬至に近いクリスマスには、ここから地上に明るさが戻ってくる日という含意があるのだが、さらに時間が進んで春分に至ると、イースター(キリストの復活を祝う祭)。こちらのほうには春のよみがえりを待つ4週間があり、四旬節と呼ばれている。4週の間、ミサで使われる祭服などの色も変わる。キリスト教は季節の変化とともにあり、そこに聖書の物語が組みあわさる宗教なのである。
キリスト教のなかでも、カトリックではこの他にもさまざまな<眼に見える手順>が定められている。手順によって彩られていると言い方もできるだろう。そのことはカトリックを扱った映画(「パッション」(米/伊2004)のような立派な映画ではなくややB級の映画)を見ると理解できる。「僕たちのアナ・バナナ」(米2000)や「恋する神父」(韓2004)では、決まり事に従おうとする一途な信仰と、人間の素直な感情のあいだを主人公が揺れ動く。手順から逃れられない姿は純粋だが、少しコミカルである。
さて、カトリックの手順のなかに、<7つの秘跡>(洗礼・聖体・堅信・告解・婚姻・叙階・病者の塗油)という重要な儀礼がある。水や小道具を用いて営まれるものだが、告解だけは、聖堂の中の小さな部屋である告解室そのものが小道具となる。「恋する神父」(実際は神学生の話)や「ニュー・シネマ・パラダイス」(伊/仏1989)のなかでは、告解室が効果的に使われる。神父との対話を通して神の赦しを求める場所、本来小さな声で祈る狭小な場所が、実はせつない恋の告白の場に早替わりするという、機能変換が面白い場面である。聖なる場所ゆえに稀なる変化が起こるとも言えるし、一途な思いには変わりがないという本質を示しているようでもあり。カトリックの空間は知恵の宝庫である。