2006/09/06
No. 48
この2回ほど、建築家の旅について書いてきた。もちろん、建築家の海外における学びの機会は旅だけではない。留学、海外の設計事務所での勤務経験などの、腰を据えるパターンがある。こうした機会は否が応でもその国固有のシステムと向きあわざるを得ない。自らの語学能力とも向きあうことになるが、その場所で大汗をかくことが自分の目指すものにつながる限り、これらはネガティブなものではないだろう。
海外経験の意義はいろいろある。重要なことのひとつは、何かを達成するために大なり小なり議論を重ねることを学ぶこと、あるいは議論することそのものの楽しみを知ることではないだろうか。ひとりひとり視点が異なることだけでも興味深いのだが、それは議論のプロセスを経ることできちんと収束されるはず(それを確信しないと外交はできないと思う)。設計事務所で仕事をする場合、収束した結論は最終的にひとつのかたちとして結実してゆくことは一層興味深いのである。
はじめは、自分が育った日本文化と、向きあっているその国の文化の違いが目についてしまうが、次第に個人の問題に還元されてゆく。つまり、ひとりの建築家としての能力や個性が問われることになる。ある意味で厳しく、ある意味でエキサイティングな場面でと言える。
そうした観点から、学生など若い世代には短期間でも海外の設計事務所経験を積むことを奨めている。だが海外の設計事務所で定職を得ることは容易ではない。ひとりの日本人がそこで働くことは、その国のひとりの人間の労働機会を奪う可能性もあるからである。そこで、インターンシップという便利な方法を奨めている。インターンシップを通して、自分の能力、またどういう組織ならば自分が活かせるかを知ることができる。
ところで、われわれの事務所がそういうインターンシップを受け入れる側にまわることがある。この場合、指導する側に、貴重な経験の場を提供する責任が生じる。スタッフにとっては、突然現れた他者に刺激を与えられる機会となる。