2006/04/26
No. 31
ふつう、美術館もギャラリーも、目に見える「かたち」を展示することが基本。もちろん表現手段としての「音」がクローズアップされることはしばしばあり、また「かたち」と「音」とをシンクロさせるアクションが試みられたりする。一方で、作曲家・武満徹(1930-96)の没後10年を記念して開催中のVisions In Time展は、それらいずれとも異なっている。目に見えない「音」を紡ぐ道程を展示する企画には違いないが、予備知識のない人が、ただちに武満の音楽そのものを感得することは難しい。彼のピアノ、楽譜も展示のメニューのなかに含まれるが、音そのものが出てくる仕掛けもあまりない。それよりも、ここにはジャスパー・ジョーンズやミロ、ルドン、加納光於などのアーティストの作品が手際良く並べられており、武満との出会いと重ね合わせながら見てゆくのが興味深い。ひとりの優れた作曲家が、いかに優れた才能と出会うことを大切にし(楽しみにし)、そこから触発されて音を刻んできたのかを展示は伝えようとしているのである。以前このコラムの「滝口修造のネットワーク力」でも触れたとおり、滝口はそうした武満の生きかた・着想方法に示唆を与えた人である。
武満の音楽や著作にずっと漬かってきた私としては、この展示は不思議な既視感と安寧感にとらわれる。立ち現れる多くのアーティストや詩人の素晴らしさは、彼の文章を通じてじゅうぶん知っているからだ。展覧会の来訪者には、同じような印象を持つ人は多いだろう。なお、展示からは「武満好みのタイプ」を窺い知ることができるが、総じて、同時代の優れた才能を発見し、その存在を世に知らしめたことにおいて、武満徹は特筆されるべき人である。
さて、武満は熱烈な阪神タイガースファンでもあった。一度テレビ番組でラインバック外野手(1976-80在籍, 1988没)を彼が絶賛するのを観たときは、腰を抜かした。それは音楽と直接の関連はないが、あの疾走感とひたむきさも「武満好み」と言えるかもしれない。