建築から学ぶこと

2014/09/24

No. 442

作業することへの自覚

ヴァイオリニストの荒井英治さんが次のようなことを書いている。 「・・なんのために他人が作曲したものを演奏するのか。それは、そういう形で他者に関わることで自分というものを探していく作業なのかもしれない。作曲者にとっても作曲した作品を通じて自分を見つめる鏡のような存在なのかもしれない。」

これは「平河町ミュージックス第28回」(ロゴバ東京、9/19)のプログラム解説文に記されたものである。この日はエサ=ペッカ・サロネンや高橋悠治(初演含む)、クルターク、ユン・イサンらの曲をソロ1本で弾き通すという意欲的なプログラムながら、ふくよかな音色と構成力が聴き手を自然に引きつけていた。それは、荒井さんが順次登場する作曲者とていねいでまじめな対話を続けている姿であった。

解説文はさらに続きがある。 「ユン・イサンの音ほど人間の声そのものであると感じることはない。音が血肉化されているといったらいいか。音は何かを探し求めずにはいられない。強靭なヴィブラ-トや夥しいトリル。急速で広い音域を駆け巡る。立ち止まらず、つねに変化し持続するエネルギ-に満ちている。(中略)ためしにこの曲をピアノで弾いてみる。その際に(ヴィブラ-トは当然だが)トリルとポルタメントを取り去って弾いてみる。すると、これらの要素がいかに重要な意味を持つかを知る。(中略)ユンにはピアノ独奏曲が極端に少ないのも充分な理由があるのかもしれない。・・」
荒井さんは、このように記しながら、そして弾く行為を通して、自らの作業の意味するところを明らかにしようとしている。その姿勢から、価値を創造する者はつねに自覚的であるべきであり、また具体的な相手に対して、特定の時間と場所における答えを示す(あるいは、返す)ものであるとの教訓を学ぶことができる。そこで想い浮かべたのは、法律や制度に寄りかかるだけで(あるいは、それを理由にして)平板な成果しか出せない建築家では、人を魅了できないし、社会も変えられないという、当たり前の事実であった。

(註:上記引用は荒井さんの承諾済みです。)

佐野吉彦

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