建築から学ぶこと

2012/08/29

No. 339

30年前、熊本で出会ったもの

魅力ある建築を生み出すために、地域が着実に支えること。<くまもとアートポリス>は自治体が継続的にかかわりながら長く続いてきた試みである。細川護煕県知事時代の1988年に磯崎新コミッショナーが就任してスタートしてから、いまも安定したリズムでコマが進んでいるのはすばらしい。初期のころの成果である篠原一男さんによる「熊本北警察署」、妹島和世さんの出世作「再春館製薬女子寮」はいまも鮮度が高い。アートポリスはそれらを足がかりにして、国内にも、また国際的にも新たな出会いを生み出す流れをつくってきたのである。

1989年には、最初の海外建築家・ハンス・ホライン氏のプロジェクト起用が決まった。その実現のために彼と協働する設計事務所の選定をおこなうことになり、私はヒアリングに出向いた。30代半ばの私個人も事務所も国際協働の経験も乏しいなかでのインタビューだったが、磯崎さんを支えていた八束はじめさんが認めてくれた。一方で、アートポリス事務局も熊本県も国際発注の前例があるわけではないので、まずは八束さんほか、鈴木明さん・太田佳代子さん・吉松秀樹さんらと今後の規範となる契約書づくりの仕事が始まる。当時も今も変わらず切れ味と知恵を兼ね備えた人たちとの共同作業は楽しいものだった。そのホラインとはどうなったかというと、契約書・業務範囲をめぐって何度も意見交換をしながら友情は深まったものの、結局プロジェクトは実現しない結果になった。

のちに、国政に出た細川知事や磯崎コミッショナーは主役から降り、私自身もやがてアートポリスとの縁は薄くなった。それでも、そのころのポジティブな空気のなかで身体にしみわたったものはいまも貴重な宝だ。なおこの時期、熊本では1992年に「建築デザイン会議」が開催されている(YKKがスポンサーとして、長く続いた年一度の会議)。これも八束さんらがリーダーシップをとって多くの提言がなされたが、この時代にあったスジの通った試みは、その後の主役たちに大いに刺激を与えたのである。

佐野吉彦

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