建築から学ぶこと

2017/03/08

No. 563

AIのいる風景

人工知能(AI)をめぐる話題が沸騰している。この2月の東京マラソンでは沿道警備のためにAIを導入していた。AIによって、監視カメラの映像や観衆がSNSで発信する情報を分析するのだという。一方、車の自動運転や、建設分野の自動施工はすでに現実味を帯びてきている。こうした動きの中で、常翔学園は、大阪駅近傍にできた大阪工業大学梅田キャンパスに「ロボティクス&デザイン工学部」を4月からスタートさせる。AIの持つ可能性を、産・学・市民で一緒に掘り下げようというヴィジョンを描いている(デザインという概念を入れているのは好ましいことだ)。AIは人間が使い慣らす便利な道具からスタートしたが、次第に近代社会の常識を変える推進力へ変わってゆくだろう。本田幸夫氏(*)が言うように、AIの定着に従って運用上、法律を変える必要も出てくる。また、高齢者を元気にするのは介護することだけではないかもしれない。そうなると、できるだけ多くの分野の専門家が、AIが活動する社会システム策定に関わる必要があるのではないか。AIがまちがった推進力を持っては恐ろしいことになる。

ところで、ある囲碁好きによると、2016年、プロの囲碁棋士をAIが負かしたのは大いにショックだったという。人間が主体的に判断すべき領域をAIに奪われてはまずいと彼は感じたわけである。それをふまえると、人間が何を他人(あるいはAI)に委ねるべきかの議論より、何を死守すべきかを考えるほうが創造的である。ちなみに、知人の聖職者は、ひょっとしたら宗教行事のようなものはAIが代行できるのではないか、と言っていた。確かに宗教にはマニュアル化された部分は多いし、アメリカにおけるテレビ伝道師も1970年代からあったので、生身の聖職者がいなくてもメッセージは伝わるかも知れない。たぶん、大事なのは個人が個人の心根に寄り添うことであろう。たとえ知的勝負でAIに先手を取られても、ここはたぶん、人間の美質として残るのではないか。

 

* 大阪工業大学教授/ロボティクス&デザインセンター長

佐野吉彦

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