建築から学ぶこと

2018/05/16

No. 622

父、またの名を羊飼い

舞台はイタリアのサルディーニャ島。父は、息子を羊飼いの仕事を継がせようとしていた。文字を覚える機会すら封じられ、羊とともに荒涼たる風景の中での孤独な時間を強いられた息子は、成人して父の圧力から逃れるように本土・ピサに渡る機会を得、やがて学問に目覚めてゆく。映画「父 パードレ・パドローネ」(監督:タヴィアーニ兄弟、1977)は、音と言語の感覚に優れた主人公が成長する物語であり、言語学者ガヴィーノ・レッダの自伝を原作としている。タイトルは、主人公が必死に繰る単語帳のページに、続けて登場するパードレ(父、PADRE)とパドローネ(羊飼い、PADRONE)に由来している。キーワードは絡みあうかのように現れる。
私には、この映画の印象は鮮烈だった。主人公の人生の鍵を握るのは、自然と都会の対比。束縛と自由の対比。世界にも自分自身に投影している落差と共存である。それゆえに、サルディーニャの風景も、ピサの大聖堂も斜塔の対比のどちらも、映像のなかで象徴的な役割を果たす。そして、主人公が自分の道を見出した最後のほうの場面で、モーツァルトの<クラリネット協奏曲>(第2楽章)が、サルディーニャの野に吹き渡るところは味わい深い。
モーツァルトは人生の最後の時期にクラリネットと出会ったときに、特別な感慨を抱いたようだ。「それにしても、この暖かさと暗さと、そうして明るさをあわせもったクラリネットという楽器が、どんなにモーツァルトの心と耳をとらえ、喜ばしたか。」と吉田秀和さんが記しているように(「私の好きな曲」)。<クラリネット協奏曲>には穏やかな希望があった。同じくこの映画にも、ガヴィーノ・レッダの人生にも、人生の苦味を感じながらも、すべてを肯定的に捉える視点がある。

 

[追記]最後に種明かしを少々。モーツァルトの死後、音楽学者ケッヘルは作品群を時系列に整理した。ラストは626番の<レクイエム>で、<クラリネット協奏曲>は手前の622番。この連載と同じ番号である。

佐野吉彦

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