建築から学ぶこと

2013/04/17

No. 371

メガシティに起こっていること

アジアの大都市はどこも渋滞。いろいろな要素がうごめいている。既存の都市構造のなかに、過剰な人口と乗用車やバイクが充ち溢れている状況も似通っている。その集中状態をリリースするために近郊に高層住宅群が何ユニットも登場し、そこを目指して鉄道新線が既存都市から足を伸ばす流れ。かくして都市はじわりじわりと拡張することになる。北京・ソウル・バンコック・デリーのような首都はもちろんのこと、釜山や瀋陽のような中核都市にも広く見られる光景である。

それぞれの都市中心部の個性は失われていないし、うごめき方のバラエティも魅力的だ。その一方で縦方向に長く完結・孤立した高層住宅がつくる近郊の景観は、どこも平均して優美な表情を欠く。不動産戦略がグローバル化すると、このような共通感覚を生んでしまうのか。前向きに表現するなら、エベネザー・ハワードが追求した理想の「田園都市」のバトンを受け、明るい未来へ一斉に走り出したとも言えるのだが。

それらは、かつての日本が切り拓いた多摩や千里、高蔵寺の巨大ニュータウン建設にあったエネルギーを彷彿させるものだ。そこでの戦略的な郊外空間形成に比べると、アジアの現在はもっとリアルさを伴って街が生み出されている。しかしどのみち、40年を越えると日本と同じように限界を感じ始めるだろう。どのように維持管理し汚れを取り除き、家族構成の変化に則した改修や改装に取り組むのか。日本が今後アジアに向けて技術提言できるとしたらこのポイントは重要ではないか。

ところで、日本の戦後は、都市の郊外に多くの文学を育て、新たなライフスタイルを形成し、穏やかな文化の基盤を築いている。現時点で没個性に見える高層住宅群も、アジアに共通した郊外文化を生み出す基盤となる可能性はある。

佐野吉彦

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