2009/12/09
No. 208
このところ、<師匠と弟子>という抜き差しならぬ関係は、濃度が薄まりつつあるかもしれない。ただし、師匠と紛うことなき分身をつくりあげるというプロセスに限っては、という前提においてである。今も昔も変わらないのは、いかに師匠が手塩にかける姿勢を示しても、弟子が師匠から学びたいと思わなければ何も始まらないことだ。つまり、魅力的な師匠を選ぶのは弟子の側である。弟子が師匠のなかに自分のテーマを感じ取ったとき、師弟関係が始まるのではないか。たぶん、師匠の分身となるというのは、人生を賭ける魅力を感じたことの結果でしかないので、もし若者に、そうしたモチベーションが薄まっているのなら、これは多少心配なことだ。
それはともかく、私にとっての師匠は至るところにたくさんいる。ある師匠からは、相互理解が難しい相手と折り合うことは妥協ではなく、創造的な行動であることを学んだ。一方で、ある師匠は意思を曲げないことの重要さを説いてくれた。ある師匠は極めて簡潔な物言いしかしない人だが、そこにある含意を感じ取るポイントを会得することができた。いずれも、私に伝授するつもりはなかったと思う。私が勝手にその人から読み取った「生きる知恵」なのである(皆さんまだ現役なので、名前は挙げません)。
また、海外の建築家との対話や折衝を通じて、かたちに内在する論理と、語る言葉の論理とをそれぞれを磨きあげること、そして両者に正しい脈絡をつけるべきことを理解した。そもそも国際的な関係のなかでものをつくることは、建築家にとって重要な修業なのではないか。それは義務付けたほうが良いかもしれない。今の時代に国際的に活躍する建築家の例を挙げることもできるが、グロピウスやエリエル・サーリネンやミースのように、移り住んだ建築家が異文化のなかで紡いだ建築思想は、極めて強いことを見てもわかる。
異文化はすべて師匠。そう感じるように仕向けてくれた人も、師匠のひとりだと言える。