建築から学ぶこと

2009/03/18

No. 173

海の灯りと歩む近代

子供の頃、山陽本線の垂水あたりで海側に現れる平磯灯標に惹かれていたことを想い出す。明石海峡を行く船に浅瀬の存在を知らせる簡易な燈台で、摂津から播磨の国に入る風景の転換点にあって、海水面にある孤高の姿はいかにも格好の良いものだった。ただ、その浅瀬は埋め立てられて都市化し、車窓から望む風情はなくなっている。

最近、初めて訪れた堺市大浜にある旧堺燈台(1877)も、いい容姿である。竪川が海に向って口をふくらませたあたりの先にあり、南海電鉄の堺駅から西へ川伝いに下ってゆくと、その容姿を間近で眺めることができる。明治の初めから、このふくらみ、すなわち由緒正しい堺港の船の出入を確実に見守ってきた孤塁である。諫早に生まれ、大阪市住吉区に根を下ろした詩人・伊東静雄が詠った「燈台の光を見つつ」は、この白い灯台が描かれたと言われる。その凛とした姿に、詩人の魂は揺さぶられたのか。先ごろ、入念な修復が行われて、この文化的な遺産は守られた。大きな収穫のある事業であった。

さて、そう記してみたものの、実は旧堺燈台のまわりのランドスケープは、皮肉な意味で多義的な状況にある。燈台へは堺駅から先ず混みあう国道26号を越え、第5回内国勧業博覧会(1903)が開かれるなど都市公園として長い歴史のある大浜公園を通り過ぎる。上空に阪神高速道路・大浜料金所を通過する幾本もの巨大なスロープが雄飛して、ようやく至った燈台の先に、さらに工場の上屋が続いている。つまり、ここには近代が都市インフラをたくましく築きあげた歴史がぎっしり詰まっているのだ。大浜がたどった近代とは交通の主役が交代していった歴史であることがわかるが、よく練られた構想の上に進んできたとは言えない。でも、結果として眼前に成立しているランドスケープをうまく編集すれば魅力を引き出せそうな気がする。富士急行叡山電鉄にあるような、大きな窓のあるLRTを(延伸して)走らせてみてはどうか。都市にあるさまざまな物語を再発見することは重要であるし、楽しいものでもある。

佐野吉彦

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