建築から学ぶこと

2012/11/28

No. 352

夢たちが枯野をかけめぐる

先日、中国からのゲストに、江戸期の大阪の古地図を紹介する機会があった(最近、大阪のオフィスの1階ロビーに地図パネルを常設したのである)。たちまち、なぜ東が上に書いてあるのかという質問が出た。これは期待通りの質問で、相手にはわかりやすい回答となる。つまり、大阪の都市構造はこの向きに<風水>のかたちが整っているから、という理由である。東の上町台地(大阪城・難波宮)は、海(港)に相対しており、江戸時代の大阪(大坂)は、城から海に向かっていくつもの道が走りだす。これに舟入の運河が櫛の目のように噛みあわさるという、当時の大阪は現代とは違う東西軸の都市だった(じつは江戸も同じ構えをしている)。

ところで先日、第2回大阪マラソンに参戦した(11月25日)。私にとって36回目のマラソン完走である。だんだんタイムが上がらなくなってきたのは個人的には不満であるが、いろいろな街にある「独特の手触り」を走って確かめるのが楽しいと思うようになってきた。ちなみに、起点は大阪府庁前、つまり大阪城正面で、ゴールは南港にある展示会場<インテックス大阪>なので、上町台地と海とをうまく繋いだコースとなっている。

伝統あるボストンマラソンのコースが独立戦争の故事にちなんだり、ニューヨークシティ・マラソンが5つの区を結びつけたりしているように、都市型マラソンは都市史をふまえて設定されている。ちなみに、大阪マラソンは、近代大阪の南北の軸・御堂筋を往復することもあって、大阪ガスビル・心斎橋大丸・大阪市中央公会堂などの近代建築の名作を眺め、北御堂・南御堂・今宮戎・住吉大社などの聖域を遠巻きながらかすめ、いくつもの運河・河川をまたいでゆく。大阪の都市のエレメントをうまく編集したことでは、退屈することはない。沿道の観衆のあたたかい(ときに突っ込みが入る)応援も力となっている。それにしても、銀杏並木が美しいこの時期のクライマックスがマラソンの一日というのはもったいないかもしれない。前後一週間を大阪ならではのイヴェントが続くウィークとする手もあるのではないか。

佐野吉彦

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