2012/01/11
No. 309
まもなく終了する「メタボリズムの未来都市展」(森美術館)の会期中、11月に林昌二さんが亡くなったあと、年が変わると菊竹清訓さんの逝去の報に接することになった。建築におけるモダンムーブメントを総括するかたわらで、お二人が人生を走り終えたのは印象深い。それぞれは未来を魅力的で果敢に描いた建築家であるとともに、多くの俊英を育てた教師として名を残す存在だった。モダニズムの時代、すなわち建築理論を試すことができた時代とは、実はしっかり人を鍛えた時代だったのである。
林さんが率いた日建設計の裾野も広いが、菊竹さんに連なる多様な個性の眩さも特記すべきものがある。内井昭蔵さん・仙田満さん・伊東豊雄さんといった顔ぶれが生み出す作品の振れ幅は実に大きい。それを育んだ土壌をめぐって、馬場 璋造さんは著書「日本の建築スクール」の<菊竹スクール>の章でこう指摘している。「理論とデザインの立脚点はできるだけ遠くに離れていて、乖離寸前のぎりぎりのところで危うく結ばれている建築こそ、魅力的なのである」と。確かに皆理論家なのだが、デザインはその理論とはストレートに結びつかない。共通することがあるなら、そこに知と情の高度なバランスが成立する弾力性があるということになろうか。
ところで、医者の世界では、医学生に職業倫理を教えるときに「ヒポクラテスの誓い」なるものを引用する。そこでまず述べられているのは、師に忠誠を誓うことの重要性である。生死を分ける場面における師の姿勢から若い医者はかなりのことを学ぶからだろう。建築家の場合も、成長のために優れた指導者に寄り添うべきではあるけれども、乗り越えるべき建築主や社会、あるいは協働者からの刺激も重要な契機となる。その妙味を理解させる師こそ、建築家を育てる有能な導き手と言えるのではないか。菊竹さんは、後進がやがて向きあう時代と社会において、どのように正しく刀を使うべきかをそれぞれに追究させようとしたのだと想像する。