建築から学ぶこと

2009/07/22

No. 190

宗教建築が切り拓いたもの

東大寺大仏殿は、幾度か焼き討ちの対象となり(1181、1587)、織田信長は比叡山延暦寺一帯に火を放った(1571)。ローマも、神聖ローマ帝国によるローマ劫掠(1527)やナポレオン1世率いるフランス軍の侵攻(1797)で手ひどいダメージを被っている。いずれも、建築に立てこもる人々以上に、建築そのものが憎まれたケースだ。宗教に対する禁制や弾圧は、歴史上数限りなくあったが、建築がピンポイントでねらわれることにどういう背景があるのだろうか。

おおよその宗教は荒涼とした風景の中から生まれた。神を祭る神殿は、人と神が交流・交歓する場としてさりげなく設置されたが、教えの広がりが増すとともに、永続的なかたちを伴うという順をたどる。いつしか、建築は神の偉大さを抽象的に感得させるよりも、宗教に関わる手順や論理をていねいに説明する媒体として機能してゆくことになる。建築は、教義のテクストとなり、信徒を結束させるためのシンボルとして用いられた。結局のところ、宗教があって建築が生まれたという順序は、建築があるから宗教活動が拡大する、というように逆転してゆくのである。それゆえに、世俗の権力者は時に宗教建築を憎悪した。特定の宗教あるいは宗派が力を持ち過ぎることは都合が悪いので、眼に見える風景の中から建築の退場を命じたのである。

宗教の側から見れば、もちろん中核施設の消失は痛手であった。現実的には時を置いて再建されるのだが、その再建プロセスや規模の再設定のなかで、宗教側は社会におけるスタンスの再考を迫られる。逆説的ながら、建築の危機によって、宗教・宗派はその生命力を自ら問い直す機会を得たのである。

建築の歴史上で、宗教建築は建築の流れをつくる先陣役となり、構法や材料を進化させた。成果はそれだけではない。建築は、課せられた使命を明瞭かつ過激に示す役割を果たすものであること。建築の存在が問い直される局面は、その使命が問い直される局面であること。宗教建築は、そうした「建築の意義」についても先陣を切る役割を果たした。

佐野吉彦

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