建築から学ぶこと

2022/06/22

No. 824

はじめての旅の記憶―沖縄にて

沖縄を初めて訪れたのは1981年のこと。当地の本土復帰は50年前の72年だが、75年から76年にかけて海洋博があり、78年になって車が左側通行になった。そういう時代背景ながら、政治的には穏やかな時期だったと思う。大学院生であった私は、沖縄の歴史や伝統的民家の形式について入念に予習し、10日間のひとり旅に出た。那覇空港からバスに揺られて本島中部に投宿し、今帰仁村(なきじんそん)役場や、まだ建設中であった名護市庁舎を見に行ったりもしたが、糸満市から摩文仁の丘まで歩いてみて、戦争末期の情景をたどる試みもした。

それに続いて、先島と呼ばれる、石垣島から与那国島に至る島々を船で乗り継いで訪ね、ひとつひとつの島の植生や集落群をスケッチし記録をして、細やかな差異を発見できたのはなかなか面白かった。それまであまり知らなかった石敢當(いしがんとう)や御嶽(うたき)、亀甲墓(きっこうばか)は島々に共通する景観要素であり、集落にはガジュマルやフクギの緑が寄り添っていた。ところが西表島では豊かなマングローブの森の卓越に変わるのである。

自然と社会背景の多様さに眼を開かれた旅であったが、沖縄には様々な統治の歴史が重層的に積み重なっていることは確認できた。行って印象的だったのは、先島では本島の下位に位置づけられていた話を聞いたこと、台湾のラジオ放送が聞こえる与那国島で、交易の結び目だった時代の痕跡を見たことなどだった。先島の今はどうなっているだろうか。40年を経て地域の事情やバランスは変わっているかもしれない。

その後、那覇での設計業務でしばしば訪沖する機会が生まれた。時間のかかる路線バスを使っていた81年と比べて島内異動ははるかに快適になり、おかげで新たな場所を訪ねることもでき、当地への理解もさらに深まった。それでも81年の旅は私の原点でもある。旅の途上の船室で長話をしてくれたおじさんとか、鮮やかな記憶に残る場面が懐かしい。

佐野吉彦

1981年に残っていた道路標識(竹富島)。

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