建築から学ぶこと

2019/07/31

No. 682

リゾート地の可能性

1987年に、総合保養地域整備法(通称:リゾート法)が施行された。当時は、経済・地域・都市活性化を目指して、民間活力を導入する取り組みが始まった時期である。国鉄などが民営化され、その一方ではバブル景気が終わりを告げようとしていた。結果を見ると、この法律に位置づけられたリゾート構想の多くは期待通りには進まなかったのではないか。事実、その後の経済の長期停滞は巨大開発を遅らせた。進んだのは東京都心への人口回帰であったり、リゾートとは別の小規模なまちおこしであったりした。それらは成功例であるものの、定住者だけではない長期滞留を受け入れる動きとは違っていた。
しかしその間、京都などの観光スポット、軽井沢や蓼科などの旧来リゾートの価値は下落していない。また、東南アジアのリゾート整備が進み、日本からの渡航も増え、リゾートのありようを多くの人が知ることになった。2000年に近づくと、国内では地方での音楽祭(フジロックフェスティバルなど)やアートイヴェント(越後妻有アートトリエンナーレなど)が、幅広い層を惹きつけることに成功した。2000年ごろからニセコにオーストラリア観光客が集まりだしてから、インバウンドをターゲットとする動きが始まった。今後はリモートワークとの重ね合わせにも期待がある。
今日の日本のリゾート地は、そうした時間をかけた変化をうまく受け止める内容に熟したどうか。まだまだ濃淡があるのだが、印象で言えば、成功しているリゾート地では、十分なノウハウを持ったプロフェッショナルが育ってきた。ひとつには開発ルールを定める行政であり、住民である。見識と経験を積み重ねた(ホテルなどの)事業者の存在も大きい。さらに、地元の建設会社や不動産会社などの立ち働きも見逃せない。結局は、優れた景観のリゾートを形成するのは人と人智の厚みである。それらは都市づくりとまったく同じことではないか。

佐野吉彦

質の高い空間:軽井沢の聖パウロ教会(設計:アントニン・レーモンド)

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