2008/03/05
No. 122
人にはいろいろな才能がある。そのなかで、やすやすと多面的な能力を拡大できるタイプがいる。レオナルド・ダ・ヴィンチや平賀源内といったところか。彼らの足跡を見ると、そもそも何の専門家であったかさえあいまいになる。現代の多能な建築家といえばレム・クールハースということになるだろう。
彼らのような才能は、いかに人を感化できるかが鍵となる。その高度すぎる能力ゆえ、才能は孤立し、受け継がれないおそれがあるからだ。だがダ・ヴィンチはスフォルツァ家やフランソワ 1世に知恵を提供し、平賀源内は秋田蘭画の小田野直武を触発した。おそらく彼らに感化力がなかったら、ディレッタントとして歴史から消えていただろう。人を引き付けてやまないクールハースについては、すでに歴史に名を残すことは確実である。
多能さとは異なる才能に、人と出会う才能というタイプがある。得がたい人と会ってチャンスをものにする幸運は、誰もが持ちあわせているものではない。一見、受動的と言えるこの才能は、フランク・ロイド・ライトやピカソ、ドビュッシーなどに備わっている。彼らは不幸にも見舞われている反面、数々の理解ある建築主や、魅力的な女性に出会うことができた。大事なところはその先で、相手の持つ価値と自分の価値とを見事に反応させている。ライトの帝国ホテルは和洋をつなぐ中庸ではなく、時代の精華であり、ドビュッシーの音楽と詩を結びつける切れ味は天才的である。ピカソは女性との出会いがきっかけにもなって、すぐれた成果を生み出した。彼らの感応力は敬服すべきものだ。
私は、人はこのどちらかのタイプの才能に属していると考える。定義すれば、前者のタイプは味に敏感、後者のタイプは音に敏感。要は自分の器官を信じ切れるか、相手のしぐさを感じ取れるか、どちらかなのである。