建築から学ぶこと

2005/11/22

No. 10

「越境」をめぐって

きわめて短い旅だったが、中国遼寧省の瀋陽と大連に出掛け、それぞれの地の大学で学生を相手に講義をしてきた。前者は2回目、後者では4回目の出番である。自分の仕事や最近の日本の建築を語ることが多いが、それを通して建築家の社会的責任や、現実の課題を乗り越えて建築を実現することの意義を説くこともある。ありがたいことに、学生たちは総じて熱心で、とりわけ質疑応答のタイミングになると白熱する。低学年でも、自分はどういうデザインスタイルを選ぶべきなのか? とか、留学するならどの大学が良いのか?などと、ためらいなく聞いてくる。このあたりは堂々たるものだ。ただ、確かに雑誌はよく読んでいるが、自ら考える前に答えだけを求める学生も目につく。特に内陸部の瀋陽については生きた情報に触れる機会が少ない。それゆえ、彼らはとても貪欲になる。

結局、私は日本から刺激を与えに出かけているつもりが、逆に刺激を与えられて帰ってくることになる。これは「越境」することの意義のひとつであろう。自分自身が変化するわけである。講義を終えても食いついてくる学生もまた、同じように「越境する精神」を持っている。留学によって国境を越えるという狭い意味ではなく、彼らには異なる考えに化学反応してゆこうとする志がある。昨今、建築家どうしの国際的協働の機会は増えたが、これを見ていると、アジアの隣国どうしで、学生が越境しながら学びあう教育環境が整うとよいと思う。まだまだ中国の学生が海外に出るのはコスト面の壁が高いので、日本の学生がゆくほうが早いかもしれない。いずれにせよ、国境を越えた建築家教育は、学生にとって刺激があるだけでなく、地域や社会とのかかわりのなかで建築家がなすべきことについて、さまざまな見方に触れながら、基本的認識を深める良いチャンスでないか。

ところで、中国語の「越境」には<原則を乗り越える>という意味もあるらしい。「越境」は新しい地平を切り拓く。

佐野吉彦

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