2018/11/07
No. 646
日本におけるキリスト教の歴史は、16世紀頃にカトリックの伝道と弾圧があり、潜伏期を経た明治の再開ではカトリックにプロテスタント各派などが加わる。現代日本においては信徒の数は大きな割合ではないが、キリスト教は、文化や教育基盤の確立、社会奉仕におけるリーダーシップの点で着実な成果を残してきた。また、カトリックにおける第2バチカン公会議(1960年代)以降、キリスト教各派の対立が消えたあと、今度は場所によっては日本人信徒を上回る数の外国籍信徒がキリスト教の新しい勢力となり、教会は多文化共生の拠点の役割を果たすことになり、今後の日本社会のありかたを考える上で重要なコミュニティとなっている。
さて、どの宗教にも独自の手続き・手順・秩序があり、年間のカレンダーも週ごとの手順も定められている。キリスト教会の聖堂も、そうしたマンネリズムを強める場であり、また人のつながりを形成する場となっている。聖堂の空間は、そこにいる聖職者・会衆がどのようにふるまうべきかを、視覚の面から理解させようとする。聖域内外を区分し、小道具を巧みに扱い、そして音響効果を活かし、さまざまな感情を呼び覚まし、あるいは制御する結果を導く。こうした計画手法は歴史の中で蓄積されてきたが、宗教自体の改革や、社会の動きと連動して様々な改変が加えられてゆく。その過程で、聖堂建築で追究した技術が教会以外に伝播することがあり、逆に世俗建築の技術が聖堂に取り入れられることもある。
教会音楽はそのような独自性のある空間で生まれた。本来、キリスト教の儀式は言葉の部分と歌の部分を組み合わせ、知識と感情の両方で効果を生み出すスタイルである。そのようななかで多様な「音」を束ね合わせてつくられたハーモニーが、聖職者と会衆の「心」と「声」をひとつに導いている。今日の音楽の源流の大きな部分が教会の聖堂にあり、そこから多くの名曲が芽を吹いてきたことは疑いない。建築と同じように、教会音楽も世俗的に展開される側面と、世俗音楽の要素があらたな契機となる側面とがある。教会・建築・音楽は抜き差しならない関係にある。
※本稿は10月21日の日本テレマン協会「テレマン55周年音楽祭」での講演に基づく。