2007/05/30
No. 84
こどものころ、夏休みになると東海道を往復した。昭和29年生まれの私は新幹線開通前、すなわち<つばめ>と<こだま>の時代を覚えているが、名古屋停車は楽しみのひとつ。ここで鶏そぼろの弁当(昔の呼び名は知らない)や名物菓子<ういろう>を買うことになる。名古屋到着が近くなり、野立看板に<ういろう>の文字が現れるとワクワクしたものだ。
<ういろう>は今や全国区と呼ぶべき人気の土産物であり、同じく全国区の<伊勢の赤福>と新幹線ホームで軒を競っている。このところ名古屋に出かけることが多かったので、その度にこの菓子を買って帰った。名古屋には居住した経験はないけれども、これだけは懐かしい。味を通した好感は長持ちしている。
同じ年頃、テレビCMを通して<春日井のシトロンソーダ>や<スープの寿がきや>の名も知った。後になってなぜこんなに名古屋は魅惑的な味を続出するのかと考えたことがある。もしかしてこの地は明瞭なアイコンを生み出す土地柄なのだろうか。たとえば名古屋城の鯱、パチンコ、そしてトヨタ自動車と並べてゆくと、ここは商品開発力に富んだ風土なのかもしれない。
その一方で、グリッド構成、台地の上に広がる名古屋市街は、方向感覚がわかりにくいところだ。名古屋城-熱田神宮が主軸であるのだが、駅はそれに直交する方位を向いている。これに加え、大河がなく、山が遠い。最近は、駅前に高層ビルが次々とオープンし、名古屋駅頭でまごつくことはなくなったものの、街のなかでのヒエラルキーが感得しにくい。都市景観におけるケレン味のなさ、というべきか。域外者にはピンと来ない場所なのだ。味から来るほどの親近感が感じ取りにくい。だがよくよく見れば、グリッドの交点から分け入ったところに「実」があるのが名古屋らしいところだ。そういうところにいいレストランが潜んでおり、強い商品が飛び出す気配も秘めている。そこから先の商品浸透のしたたかさは、時間をかけて名古屋味をこども(私)に浸透させた経過を見ると想像がつく。