2010/10/20
No. 250
設計事務所を束ねる立場にある者としては、日常の業務遂行とともに、経営戦略を策定することも必然的な作業になる。年度ごとの計画に加えて、今年は中期5年計画の最終年度であり、過去5年の軌跡を振り返ってみると、実に興味深い。企業としての自律性を保ちつつも、外に起こる風向きの変化、個別のプロジェクトが発する多様な声を注意深く感じ取ろうとしてきたことがわかる。経営判断は、社会背景とは切り離せない。それぞれの場面での選択は、風や声をどう自らの問題として取り扱うべきか思案しながら行われている。振り返った時間の帯とは、それらが積分されたものと言えよう。
私自身の歴史でさえこうなのだから、日本の近現代史がどのような選択をしてきたかを掘り下げると、驚くほどに分厚い地層に行き当たる。加藤陽子さんの卓抜な著作<それでも、日本人は「戦争」を選んだ>(朝日出版社、2009)からは、日本がいくつかの戦争を企図する起点にあった風や音が聞こえてくる。そうして、確かに人が「それ」を選んだ。では、その時々にどのような確信があったのか。
第9回小林秀雄賞(財団法人新潮文芸振興会)を受賞したこの著作についての選評が「考える人」2010年秋号に掲載されている。たとえば審査員のひとり橋本治さんは<加藤さんの新しさは、「一人の論者が結論を簡単に出してしまうことへの疑義」でもある。早急に、そしてその結果恣意的になってしまう結論を出すことよりも、考えるべき対象をまず見据えることが大切であるということを、この本は明白に言っている>と述べ、同じ審査員の堀江敏幸さんは、<解答よりも、思考の方法を示そうとする開かれた意思に基づく>と評している。歴史の語り方はいろいろあるが、この本は<高校生との対話>という形式を採ることで、歴史を読むことに必要な創造的姿勢を明らかにしている。
かくて、現代の読者は、過去の人間と同じように思案することになる。この本で興味を引くのは、加藤さんが過去にあった心理を適切にモデル化して切り出す試み。そして、そこにいた人間たちが試みるモデルがときに鋭かったり甘かったりする例が挙げられる。なるほど、歴史にはつきあってみる価値がある。